ディズニー・スプリングス Ghirardelli Soda Fountain and Chocolate Shop ギラデリ・ソーダ・ファウンテン・チョコレート・ショップ

Ghirardelli Soda Fountain&Chocolate Shop Walt Disney World
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ギラデリ チョコレート

ディズニー・スプリングス・マーケットプレイス内、World of Disney Store(ワールド・オブ・ディズニー・ストア)の隣に位置する『Ghirardelli Soda Fountain & Chocolate(ギラデリ・ソーダ・ファウンテン&チョコレート)』は、世界的に有名なチョコレート専門店です。

ギラデリ・チョコレート・カンパニー(Ghirardelli Chocolate Company)は、イタリアのショコラティエ Domenico Ghirardelli(ドミンゴ・ギラデリ)により、1852年設立されました。

ギラデリ・チョコレート・カンパニーは、現在はスイスに本社を置くリンツ&シュプルングリーの子会社となっています。

ギラデリチョコレートの歴史

創業者の年表を追っていきましょう。

0~30歳までのストーリー
  • 1817年~
    ドメニコ・ギラルデリは、イタリアのラパッロで誕生。
    幼い頃、ドメニコは地元の菓子職人に弟子入りし、チョコレート貿易の教育を受ける。
  • 1837年
    20歳になるころ、ギラルデリは妻と共にウルグアイに渡り、チョコレートとコーヒーのビジネスをする。
    翌年、ギラルデリはペルーのリマに移り、菓子店を開く。
  • 1847年
    ジェームズ・リック(ギラルデリの隣人)が600ポンド(270kg)のギラルデリのチョコレートを持って、カリフォルニア州サンフランシスコに移住。
    30歳のギラデリは残り、ペルーで店を続ける。

    イタリア名のファーストネーム「ドメニコ」からスペイン名の「ドミンゴ」に改名。

結局、南米で10年間過ごしていました。

ゴールドラッシュがきっかけで

カリフォルニアのゴールドラッシュで成功を収め、後に会社を設立します。

32歳のストーリー
  • 1849年
    ギラルデリがアメリカへ渡る。
    カリフォルニア州ストックトンで、鉱夫たちのための雑貨店を営む。
    数ヶ月後、サンフランシスコのブロードウェイとバッテリーの角に2号店をオープン。

火災で焼失も

火災発生
  • 1851年
    5月3日の火災により、ギラデリのサンフランシスコの事業は消失。
    その数日後、ストックトンの店舗も焼失。
    しかし、同年9月、残った資産でサンフランシスコにカイロ・コーヒーハウスをオープン。

ギラデリ・チョコレート・カンパニーの誕生

ギラデリ・チョコレート・カンパニーの誕生
  • 1852年
    サンフランシスコのカーニー通りとワシントン通りで、ギラデリが菓子店「Ghiardelli & Girard(ギラデリ&ギラード)」を開店し、やがて現在のギラデリ・チョコレート・カンパニーとなる。
  • 1853年
    ジャクソン通りとメイソン通りの角へ移転。
  • 1855年
    グリーンウィッチ通りとパウエル通りの角へ移転。
  • 1856~1859年
    カリフォルニア州ホーナイトスに雑貨店を構え、そこでチョコレートのレシピを完成させる。

「ギラデリ&ギラード」を開店してすぐ、まだペルーに住んでいる家族へ、仕送りをするのに十分なお金を稼げました。

ブロマプロセス発見

ブロマプロセスの発見
  • 1865年
    チョコレート袋を暖かい部屋に吊るしておくと、ココアバターが滴り落ち、その残りカスを粉砕チョコレートに加工できることを発見。

ブロマプロセスとは、焙煎したカカオ豆からココアバターを抽出する方法のこと。
他の技法に比べ、より濃厚なチョコレートが製造でき、残った乾燥カカオ豆は、ココアパウダーとして販売されます。

3人の息子たち

創業者が引退
  • 1884年
    ドミンゴの息子3人が事業のパートナーとなり、アメリカ西部全域と東部、中国、日本、メキシコにチョコレート製品・コーヒー・スパイスを販売。
  • 1892年
    ドミンゴが代表を退き、息子たちに経営を引き継ぐ。
  • 1894年
    1月17日ドミンゴはイタリア・ラッパロ旅行中に死去。77歳でした。

工場移転~サンフランシスコ大震災

工場拡大
  • 1893年
    より広いスペースが必要だったため、サンフランシスコ北部のウォーターフロントにあるパイオニア・ウール・ビルを購入し、製造を移転。
  • 1906年
    サンフランシスコ大地震と大火災により、街の大部分が破壊されたが、ギラデリ社の工場は被害を受けなかった。震災から10日後には製造を再開。
  • 1923年
    今ではすっかり有名になったギラデリのイルミネーション電球の看板が誕生。
    この看板は何マイルも先まで見えるため、ゴールデンゲート海峡を行き交う船の目印となる。

100周年

1952年 ギラデリ・チョコレート・カンパニーが創業100周年を迎える。

サンフランシスコ市のランドマークに

タイムラインのタイトル
  • 1962年
    サンフランシスコの著名人2人がギラデリ・スクエアを買収。
    ビクトリア朝様式の優れた特徴を生かしつつ、近代的な専門ショッピングセンターを建設するよう依頼。
  • 1965年
    サンフランシスコがギラデリ・スクエアを市の公式ランドマークに認定。
  • 1967年
    カリフォルニア州サン・レアンドロに、ギラデリの生産拠点(マニファクチュア)を移転。
  • 1982年
    ギラデリ・スクエアが国家歴史登録財に指定される。
  • 1996年
    第1回ギラデリ・スクエア チョコレート・フェスティバル開催。

1900年までにギラデリ社は、コーヒーとスパイスの事業を売却し、チョコレートとマスタードのみを販売していきます。

ディズニー・スプリングス店オープン

ディズニー・スプリングス店
  • 1997年
    フロリダ州オーランドのダウンタウン・ディズニー(現ディズニー・スプリングス)に「ギラデリ・ソーダ・ファウンテン&チョコレート・ショップ」をオープン。
    Ghirardelli Soda Fountain&Chocolate Shop

充填式SQUARESチョコレート発売

スクエアチョコレート
  • 1999年
    ミルク&キャラメルSQUARESを含む、充填式SQUARESチョコレートを発売。
    Ghirardelli Chocolate

新商品を次々と発売

ギラデリの新商品
  • 2003年
    「SQUARES」スタンドアップ・バッグを発売。
  • 2004年
    「ペパーミント・バーク」が発売され、ホリデーシーズンのベストセラー商品に。
    この「ペパーミント・バーク」が個人的に一番美味しいと思います!
  • 2005年
    ギラデリから「ダークスクエア」が発売され、一般向けチョコレートとしては初めて、パッケージにカカオ含有量を表示した。

    60% 72% 86% 92%の4種類です。

  • 2006年
    ベルベットのような深みのあるチョコレートと洗練された素材を贅沢に使用した「インテンス ダーク バー」新発売。
  • 2007年
    初のフィリングバーライン「プレステージ・バー」デビュー。
  • 2014年
    ミニチョコレートがデビュー。

ハリウッド「ディズニー・スタジオ・ストア」

ディズニーとコラボ
  • 2013年
    ディズニーと提携し、カリフォルニア州ハリウッドに「ディズニー・スタジオ・ストア」をオープン。
    Disney Studio Store & Ghirardelli Soda Fountain and Chocolate Shop
    Loren Javier Disney Studio Store & Ghirardelli Soda Fountain and Chocolate Shop

2022年は

2022年 ギラデリ・チョコレート・カンパニーが創業170周年を迎える。

ギラデリ・ソーダ・ファウンテン&チョコレート

伝統を味わう

カフェコーナーでは、スイーツが注文できます。

左側がClassic Malt ストロベリー味
右側がOcean Beach シーソルト・キャラメル・サンデー
GHIRARDELLI
メニュー表を見てじっくり選べます。英語のみです。
Ghirardelli Chocolate

メニュー表には裏側もあります。
アイスクリームシェイク、ホットチョコレートなど定番メニューはもちろん、
12種類のアイスクリームのフレーバーやトッピングをのせて、オリジナルのアイスクリームを作ることも可能です。

チョコレート販売コーナー

ギラデリ・チョコレートバーの全フレーバーが揃っています。

オーランドにちなんだギフトなど、他では手に入らないギラデリチョコレートのギフトや限定パッケージのセレクションもあります。

ピック&ミックステーブルでお好きなフレーバーを選び、カスタムチョコレートのアソートやギフトも作れます。
Ghirardelli Chocolate

買収劇

ギラデリ社が数々の買収を繰り返され、現在に至るまでです。

買収の歴史

175年続くスイスの老舗ブランド リンツ

Lindt(リンツ)は、スイスで1846年に創業した歴史あるプレミアムチョコレートブランド。
ギラデリ・チョコレート・カンパニーを含む7社のチョコレート・菓子会社を保有しています。

創業者のロドルフ・リンツ氏は、今ではあたりまえとなっているチョコレートのなめらかな口どけを初めて可能にした「コンチング・マシン」を発明します。

・1949年からの看板商品のトリュフチョコレート『Lindor(リンドール)』
・18種23個入り
・公式店発送限定 ショッピングバッグ付き

アメリカ国内で3番目に歴史のあるチョコレート

チョコレートの歴史 苦いドリンク

カカオ豆の消費は、約2,000年前の古代マヤ族が神聖な儀式の際に使用し、チョコレート自体が生命と豊穣を象徴すると考えられていました。
その後、中南米のアステカ文明でスパイシーなドリンクなどに発展したと言われています。
アステカ文明では、砂糖はまだ未知のものであったため、ワイン、チリペッパー、ミント、トウモロコシのピューレなどを混ぜた苦みの強いドリンクを「ショコラテール」と呼んでいました。
カカオ豆は、知恵の神 Quetzalcoatl(ケツァルコアトル)からの贈り物と信じていました。
チョコレートのラテン語訳が「神々の食べ物」です。

アステカ皇帝 Montezuma(モンテマス)は、1日に50杯ほどのチョコレートドリンクを飲んでいたそうです。

このスパイシーなチョコレートドリンクは、1500年代のヨーロッパ人にとっては嗜好品でした。
少しアクがあり、慣れるまでは苦労したようですが、チリペッパーなどが胃の調子を整える役割をしていました。

昔のチョコレートは、薬の代わりをしていたというのは本当だったのです。
カカオポリフェノール
カカオプロテイン
テオブロミン
などの有効成分が効いていたからでしょう。

また人間にとって、とても大切なミネラルであるマグネシウムの含有量が豊富です。
抗酸化物質もたくさん含まれています。

現代でも健康に気を遣い、砂糖少なめの高カカオチョコレートが人気です。
カカオの含有率が高いほど苦みを感じます。

ギラデリの92%チョコレート。
薬だと思って食べればなんとかなります😅

アメリカのチョコレートの歴史

かつてカカオ豆は、メソアメリカ(メキシコ及び中央アメリカの一部)から伝わり、通貨の代わりにもなる非常に価値の高いものでした。

ヨーロッパで普及し、砂糖を混ぜて甘みを出すことを発明します。
これにより、支配階級から広がり庶民にも楽しまれる嗜好品へと変化していきます。

アメリカには、1600年代にオランダ人により持ち込まれます。

・1755年頃 ホットココアの商売が始まる。
・1765年 アメリカで初のチョコレート工場が稼働。
・1773年 あらゆる階級の人々もホットココアを飲めるまで普及する。
・1776~1783年 独立戦争中、アメリカ軍に配給品として支給。
・1800年代 新聞に「固形の食べられるチョコレート」の広告が掲載。
しかし、滑らかな形状とはほど遠くあまり人気が出なかったようです。

ギブミーチョコレート

1939~1945年の第二次世界大戦中の米軍兵士にも、独立戦争中と同様に、配給品として支給されました。

終結後、GHQ占領下(1945年9月~1952年4月)の日本の子ども達の間で流行った言葉「ギブミーチョコレート」。
果たして、どこのブランドだったのか。
そして、日本の子ども達が食べたであろうチョコは、どんな味だったのか気になって調べてみました。


米軍で配給されていたのは、今でも世界中で人気のあるHershey’s(ハーシー)社のものでした。
チョコの名前は『Tropical Bars(トロピカル・バー)』。

トロピカル・バーの特徴について

・約49℃までの気候の中で一時間以上形を保てる。
・ビタミンB-1強化。(脚気かっけ予防)
・3,800万個近く製造された。
・原料はチョコレート、砂糖、ココアバター、脱脂粉乳、オート麦、人工香料。

・1971年アポロ15号に搭載された食品。

トロピカル・バーより少し前に製造されていたチョコは、『Field Ration D Bar(フィールド・レーション・D・バー)』でした。
重さは約113gで、カロリー値が高く、高温に耐えると同時に、美味しすぎないようにとの命令でした。美味しいと食べ過ぎてしまうからだそうです。
戦時中の兵士達の空腹と栄養を補っていましたが、ナイフで削らないと食べることができないくらい硬く、あまりにも味が不評だったのと、消化器官に影響が出ることから兵士達の間で「ヒ◯ラーの秘密兵器」と揶揄されていました。

現在70~80代の方が子どもの頃にもらったチョコは、ハーシー社のトロピカル・バーでした。
「ヒ◯ラーの秘密兵器」のフィールド・レーション・D・バーよりは、少し味がマシになったようですが、やはり硬く食べるのが困難だったようです。
兵士達は、率先して食べることはせず、初めて見る美味しそうなお菓子に群がる「疑いを持たない連合軍や民間人」にあげたと書かれています。
以上が「ギブミーチョコレート」の秘話でした。

https://www.warhistoryonline.com/war-articles/field-ration-d-bar.html?chrome=1

アメリカ国内で3番目に古い歴史のギラデリチョコレート

ギラデリチョコレートは、アメリカ国内で3番目に古いチョコレート会社であり、アメリカの代表的な老舗ブランドです。他の歴史のあるチョコレート会社はどこなのか。
これまた、気になり調べてみました。

第一位 1765年 Walter Baker & Company

1765年、ウォルター・ベイカー&カンパニーが ドーチェスター(マサチューセッツ州ボストン)に米国初のチョコレート工場をオープン。
工場は現在、アパートメントに改装されています。

現在は Kraft Heinz クラフト・ハインツがブランド名をBaker’s Chocolateに変更。
その名前の通り、製菓用チョコレートの製造をしています。


第二位 1842年 Whitman’s 

イギリス出身の大女優 エリザベス・テーラー(1932~2011年)のバレンタインデーポスター

Whitman’s Sampler All Dark Chocolate, 12 Ounce


第三位 1852年 Ghirardelli Chocolate Company

さいごに「隠れミッキー」

カリフォルニア州ハリウッドの「ディズニー・スタジオ・ストア」内のカフェは、ディズニーとのコラボで、キャラクターグッズが売っています。
しかし、ディズニー・スプリングスのギラデリカフェは、ディズニー色が全然感じられません。
しかし、探したらありました!
サンフランシスコの象徴的なアイコンの路面電車に、ミッキーマウスの影が・・・。

創業者のドミンゴ・ギラデリ氏の顔と、サンフランシスコの街の絵は、初心を忘れないギラデリ社の想いを表しています。
そこに「隠れミッキー」とは。にくい演出ですね😊

写真だとわかりにくいですが、確かにミッキーが乗車していますよ👇

Ghirardelli Shop Hidden Mickey
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