ディズニー家の歴史 その5 アメリカ編①

American Flag ウォルトディズニー
Cristian Ramírez American Flag
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華麗なる一族の歴史 アメリカ編

まずは、こちらからお読みください👇

カナダからアメリカへ

1877年

祖父(おじいちゃん)のケプルは、18歳のイライアス(父)と2歳下のロバート(叔父)を引き連れて、当時ゴールドラッシュに湧くカリフォルニアへ一攫千金を目指し向かいます。
しかし、途中で計画を変更しカンザス州エリスに立ち寄ります。
そこで約200~300エーカー(80~120ヘクタール)の土地を、鉄道用地をユニオン・パシフィック鉄道から購入します。

カンザス州エリスでの生活

ケプルはカナダの家と農場を売却し、家族と共にアメリカ・カンザス州エリスへ移住します。
木造の家を建て、家畜を育てトウモロコシの栽培をします。
ここでもカナダと同じような寒さに加え、乾燥した土地で農業にはあまり適していなかったようです。
そこで祖父のケプルと息子達(父のイライアスも)は家計のために、鉄道乗務員の仕事にも就いていました。

1885~86年

一家はカンザス州エリスでこの冬、雪が降り積もり大変な思いをしたようです。
農業は大打撃を受け、鉄道も止まり、仕事にはならない状況が続きました。

しかもある特定の民族の虐殺が起こり犯罪が横行し、治安の悪化が進んでいました。
ここでの暮らしにはうんざりしていたそんな中、ケプルは隣人の親戚がフロリダにいることを聞きます。

運命のフロリダへ

隣人と一緒に隣人の親戚がいるフロリダへ偵察に行きます。
同行したメンバーは、祖父(ケプル)・父(イライアス)・隣人家族。
実はこの隣人家族の中に、16歳のフローラ(※将来のウォルトの母となる女性)がいました。

1886年

フロリダの温暖な気候が気に入り、一家はフロリダへの移動を決意します。
ケプルの家族はフロリダのアクロンに定住します。(※現在はゴーストタウンです。)
父のイライアスは、ここで郵便配達員として働きます。

一方、フローラの家族はキスメットに定住します。
フローラはアクロンで1875年に設立された小学校の教師になります。

イライアスとフローラは3年後に結婚することに。

現在のWDWから約65㎞北にある現在はゴーストタウンのアクロン👇

Acron
© OpenStreetMap contributors

父イライアスと母フローラの結婚

1888年元日

キスメットのフローラの実家で結婚式を挙げます。
イライアスは29歳、フローラは19歳。10歳差のカップルでした。

イライアスはアクロンで5エーカーのオレンジ農園を購入し、生計を立てようとしましたが、運悪く寒波で霜が降りてオレンジが栽培できませんでした。

1888年

6月ごろ、父イライアスの弟ロバート(ウォルトの叔父)も結婚します。
妻のマーガレットは裕福な家に育ちました。マーガレットの父の会社を相続し、不動産・石油関係の仕事をします。
※叔父のロバートの資金力はのちにウォルトとロイを助けることに。

12月8日 イライアス・フローラの長男ハーバードが誕生。
幼いハーバードを連れて家族3人でフロリダからシカゴへ移動します。

シカゴへ

1889年

叔父のロバート夫婦はシカゴに来ます。
4年後の(1893年)に開催が決まっていた「シカゴ万博」を見据みすえてホテルを建てます。

1890年

イライアスの家族もシカゴへ向かいます。
そしてシカゴ万博の会場近くの平屋を借りました。
12月には次男のレイモンドが誕生します。

1891~93年

イライアスはロバートの不動産業を通じて約700ドルの土地を購入します。
※トリップアベニューとパーマーストリートの南西の角地、1249番地に。

18×28フィートの土地を購入し、木造2階建てを約800ドルで建設する許可を得て、フローラと二人三脚で住宅を設計し建築します。
大工としての技術はカンザス州エリスで鉄道員のときのつちかったものだそうです。

1893年

6月24日 三男ロイが誕生します。
その後、6年半は家族5人の暮らしが続きました。

1900年

この頃までに、イライアスは地域を代表する建築請負業者になっていました。
そして日曜日はもちろん、平日でさえも家族で教会の礼拝に訪れていました。
ディズニー家から2ブロックの場所に、聖パウロ会衆派教会を建設する案が持ち上がります。
当然のごとく、イライアスは建設委員会のメンバーに選ばれます。
聖パウロ会衆派教会は1900年10月14日に奉納されました。
そして、イライアスは教会の管財人に任命され、フローラは会計係を務めました。

教会の牧師である、ウォルター・パーはイライアスと親密な仲でした。
ウォルター・パーが不在のときには、イライアスが代わりに聖壇せいだんに立ちました。
後に、フローラが夫はかなり良い説教者でしたと語っていました。

ウォルト誕生

ついにウォルトが、ディズニー家の四男として誕生します✨

1901年12月6日 四男ウォルトが自宅の2階で誕生。
聖パウロ会衆派教会の牧師のウォルター・パーと父親から名前をもらい「ウォルター・イライアス・ディズニー」と命名されます。
もちろんウォルター・パー牧師の幼児洗礼を受けています。

普段私たちは、ウォルト・ディズニーと呼んでいますが、本名は「ウォルター・イライアス・ディズニー」と言うのですね。
ウォルトではなく、ウォルター。
ウォルトはニックネームだったとは。
初めて知ったときは衝撃でした🙄
ディズニーファンなら皆、当たり前のように知っている事実なのでしょうか?

しかも、牧師さんから名前をいただいていたとは。
ウォルトが生涯に渡り宗教的な教えを守り、祈りを捧げてきた理由がわかりました。

実際に宗教観や祈りについて残した言葉があります👇

引用元 http://www.thewaltdisneybirthplace.org/
引用元 https://en.wikipedia.org/wiki/Elias_Disney

まとめ

カナダでもアメリカでも、寒冷期だったようで、冬の寒さは厳しかったようです。
そんな中で作物は育たないでしょうし、生きていくだけでも相当の苦労があったはずです。
曾祖父と祖父の時代から住む場所を転々としていて、それが父のDNAにも受け継がれたと言われていますが、元々は移民ですし、天候などの不可抗力で仕事がうまくいかないとなれば、新天地に希望を求めて移動するのも当然でしょう。
そうやって生き延びるために必死だったはずです。
そのDNAのおかげでウォルトが既成概念にとらわれず、新しい発想を次々と生み出す原動力となったのは間違いないでしょうね。

次は、アメリカ編の続きへ👇

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