ディズニーランド鉄道の簡単な歴史
ウォルト妻リリアンが監修した、カリフォルニアのディズニーランドの豪華客車「リリー・ベル号」について書いていきます。
まずはその前に、カリフォルニア・ディズニーランド鉄道についての簡単な歴史を。
🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂🚂
ディズニーランド開園初日の1955年7月17日から『Santa Fe & Disneyland Railroad(サンタフェ&ディズニーランド鉄道)』は、パーク内を走っていました。
オープンしたての、殺風景な中を走るサンタフェ&ディズニーランド鉄道👇
それから3年後の、1958年3月31日に『Grand Canyon Diorama』グランドキャニオンのジオラマが、トゥモローランドとメインストリートUSAの間のトンネルに登場。
グランドキャニオン サウス・リムの、広大な渓谷の野生動物を見ることができます。
当時では、世界最長約93mを誇るトンネルジオラマでした。
グランドオープニングでは、96歳のアメリカ先住民ホピ族の酋長Nevangnewa(ネバンネワ)が祝福し、ウォルトが全行程を運転しました👇
当時のグランドキャニオン サウス・リムの渓谷のジオラマ。
コヨーテがいます👇
こちらは実際のグランドキャニオン サウス・リム。
息をのむ絶景です👇
その8年後の1966年に、Primeval World(プライミーバル・ワールド)が登場。
先史時代の恐竜の世界を垣間見ながら、メインストリートUSA駅に戻ります👇
Primeval World(プライミーバル・ワールド)について補足
1966年7月1日にオープンした、サンタフェ&ディズニーランド鉄道のプライミーバル ワールドジオラマ。
ニューヨーク万国博覧会のフォード・マジック・スカイウェイを参考にしたものである。
霧深い沼地を舞台に、数種類の先史時代の生き物がオーディオアニマトロニクスで表現されています。
ブロントサウルスが沼地の草を食べ、ステゴサウルスとティラノサウルス・レックスが戦いの準備をしている所です。
東京ディズニーランドのウエスタンリバー鉄道にもあります。
その後変更を加えつつ、現在のDisneyland Railroad(ディズニーランド鉄道)は、ゆったりと18分の周遊が楽しめます。
リリー・ベルの歴史
6台の客車の名前は「RETLAW 1」
当時客車は6台でした。
それぞれ「101・102・103・104・105・106 」の客車番号がついていました。
黄色の塗装が目を引く客車です👇
これら6台の客車の名前は、『RETLAW1(レトロー1)』と呼ばれていました。
『RETLAW』とは、ウォルトの本名『WALTER(ウォルター)』を逆にしたものです。
その RETLAW1 の106は、「Grand Canyon(グランドキャニオン106号)」と呼ばれていていました。
グランドキャニオン106号⇒リリー・ベル号
1955年のパークオープンからゲストを乗せ走っていました。
19年後の1974年に現役を退き、ディズニーランドのラウンドハウス内に保管されます。
ディズニーランドの交通管理者は、VIPゲストや関係者がプライベートで乗車できる「特別車両」の必要性を感じていました。
そこで1976年「グランドキャニオン106号」を、特別なゲストのため豪華な客車へと改造。
船の名前に女性の名前をつける風習にならい、「106号」にも女性の名前をつけようと考えていました。
ウォルトの妻リリアン・ディズニーが、内装デザインをすべて監修したことにちなんで『リリー・ベル』と名付けたのです。
豪華なパーラーカーの『リリー・ベル』
メインストリートUSAの『The Disney Gallery』には、リリー・ベルの説明写真がありました。
このように書いてあります👇
リリー・ベルは、DL鉄道の車両の中で、最も個性的な特別なパーラーカー。
パーラーカーとは、貨物列車の最後尾にあるカブースと同じように、客車列車の最後尾にある車両です。
大きな窓があり、乗客が旅先で田園風景を眺めることができます。
ウォルトは、豪華な調度品で満たされた、プライベートなイベントや会議、豪華な食事に使える特別な鉄道車両を望んでいました。
そして、DLがオープンしてから20年以上経ってから、ウォルトの構想はようやく実現したのです。
イマジニアは、ウォルトの妻リリアンとともに、初代レトロー1号の客車に使われていた昔の「展望車(106号)」を使い、ウォルトが誇りに思うであろうヴィクトリア時代の豪華なパーラーカーを作り上げました。
この展望車は、最初の改造から何度も改修されていますが、細部のほとんどは変わっていません。
ヒマラヤ産のマホガニー材が、壁や天井に敷き詰められています。
天井の一部には、精巧なステンシルが施され、エレガントな印象を与えています。
床には、複雑なデザインのバラ柄のカーペットが敷かれています。
チェアの裏地やカーテンは、ベルベットのクラッシャー加工です。
天井の両側には、ステンドグラスが埋め込まれています。
他の外装と同じように真っ赤に塗られたドアには、長方形の真鍮製の銘板が掛けられており、そこには当時の文字で「Lilly Belle」と彫られています。
(ざっくり日本語訳)
真っ赤に塗られたドアに、真鍮製の銘板に彫られた『Lilly Belle』の文字と豪華な調度品👇
ウォルトの長年の夢であったヴィクトリア調の豪華なパーラーカー。
奥のドアは、珍しいアーチ状です👇
リリー・ベル に乗車
Lilly Belleの乗り方について。
リリー・ベルは毎日運行しているわけではありません。
しかも、12~14人しか乗れない車両です。
Club33の会員
Club33の会員であれば、優先的にチケットを入手できます。
会員はリリー・ベルへの乗車を希望する場合、予約が必要です。
ゲストを連れての乗車も可能。
しかし、会員が同伴しない場合、ゲストのみでの乗車はできません。
Club33について👇
グランド・サークル・ツアー
ウォルト・ディズニーの鉄道愛の話を知りたい方は、「グランド・サークル・ツアー」に参加できます。※解説は英語のみ。
ディズニーランドの鉄道の舞台裏が垣間見える、約2時間のツアーが開催されています。
ウォルトが、少年時代に機関車の「車内販売員」として働いた過去や、機関車を運転する指導を受けた話などを聞きながら、パーク内をウォーキングします。
ウォルトの鉄道愛が、アニメーションや映画やテーマパークにどのように影響を与えたか、理解が深まるツアーです。
そして最後にようやく、リリー・ベルの乗車ができます!
約20分、リリー・ベルの歴史解説を聴きながらパーク内を周遊。
写真や動画撮影も可能です。
ドーナツとドリンクに、ツアー限定グッズのお土産もついてます。
参加費用は、ひとり85ドルです。
※2022年6月現在は、一時的に休止しています。
早起きは三文の徳・・・?
ツアーに参加するまでもないけれど、ちょっと内部を覗いてみたい方へ。
開園と同時にメインストリート駅へ並び、運が良ければ、リリーベルに無料で乗れるチャンスがあるかもしれません。
Club33会員やVIPやグランドサークルツアーの予約が入っていない日などに、一般のゲストにも公開している場合があります。
運がよければ、停車中の客車内が見られる可能性もあるようです。
天気に左右されます
悪天候の日には、VIPだろうが、Club33の会員だろうが、リリー・ベルの乗車できません。
冷房はついていないので、常に窓を開けています。
雨はもちろん、風の強い日、猛暑日なども、通常運行から外されて車庫に入ります。
美しい塗装や内装などを、いつまでも守るためです。
またリリー・ベルの客車は、5台ある蒸気機関車の中で、No.1『C.K.HOLLIDAY』と、No.5『WARD KIMBALL』しか牽引できません。
そのため、運行できる日数は限られます。
No.1蒸気機関車『C.K.HOLLIDAY』について👇
No.1機関車は、1859年設立のAtchison, Topeka and Santa Fe Railway(アチソン、トピカ&サンタフェ鉄道)⇒サンタフェ鉄道の前身
創設者のCyrus K. Holliday(サイラス・カーツ・ホリデイ 1826〜1900年)から『C.K.HOLLIDAY』と名付けられました。
No.5蒸気機関車『WARD KIMBALL』について👇
No.5の機関車は『WARD KIMBALL』。
ナイン・オールド・メンのひとりで、ディズニーの伝説的なアニメーター・イマジニア・鉄道愛好家の、ウォード・キンボール(1914〜2002)の名前です。
煙突の前にあるヘッドライトには、キンボール氏が死の直前に描いたジミニー・クリケットを、金箔のシルエットで塗装しています👇
ナイン・オールド・メンのWARD KIMBALL氏の名前は、オーランドの高級住宅地エリアの名前でもあります👇
No.2、No.3、No.4は、サンタフェ鉄道社長の名前が付けられています👇
No.2蒸気機関車『E.P. Ripley 』
アチソン、トピカ&サンタフェ鉄道の初代社長(1895)の エドワード・ペイソン・リプリー(1845〜1920)の名前です。
No.3蒸気機関車『Fred Gurley 』
サンタフェ鉄道社長(1944~1957)のフレッド・ガーレー(1889〜1976)の名前です。
No.4蒸気機関車『Ernest Marsh 』
サンタフェ鉄道社長(1957~1966)のアーネスト・S・マーシュ(1903-1975)の名前です。
驚くことに最初のお客様は・・・
昭和天皇皇后両陛下は、1975年9月30日~10月14日にかけてアメリカへ、国際親善のためご訪問になりました。
1976年 アメリカは、独立宣言の採択から200年の節目を迎えた記念すべき年でした。
天皇皇后両陛下は、1975年から始まっていた『アメリカ合衆国建国200年祭』にご出席されました。
その際、10月8日にディズニーランドへご訪問されています。
そして、パレードをご見学され、完成したばかりのリリー・ベルにもご乗車されました。
最初のVIPは、日本の天皇皇后両陛下でした。
こちらは、昭和天皇がご愛用された 腕時計と同じようなデザインで、ミッキーの手が時計の針になっています。
実はこのアイディア、ウォルトが考案したものなのです!
しかも、世界で2000個の限定モデル。シリアル番号つき👇
天皇皇后両陛下が、リリー・ベルにご乗車されたときの映像を探しましたが、残念ながらありませんでした。
しかし、パレードをご見学されている映像はありました。
皇后様が、金髪の男の子を「膝抱っこ」されている場面が微笑ましいです👇
さいごに
VIP専用の豪華な客車のリリー・ベルは、まるで『走る貴婦人』『走る博物館』のようです。
昭和天皇皇后両陛下がご乗車されていたことを今回知り、歴史の重みを感じました。
一般のゲストは、乗車する機会が限られています。
乗車できた方の特別感は格別でしょう。
こちらは、2006年2月15日 キャストメンバーに配られた限定ピンバッチ。
eBayで13,500円で売られていました👇
リリー・ベルにも、お約束の「隠れミッキー」があります。
カーペットに注目👇