ディズニー家の歴史 その1 フランス編

France flag ウォルトディズニー
Nathan Hughes Hamilton Flag of France, Undated
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華麗なる一族 フランス編

ウォルト・ディズニーの祖先を辿っていくと、フランスに行き着きました。
ご先祖様達は、数々の困難を乗り越えてこの世に「ウォルト・ディズニー」を誕生させてくれました。

ウォルト自身は、生前アイルランドからの移民だと公言していました。
しかし、現役のディズニー家の人々は起源がフランスにあるとしています。
どういった経緯で、フランスに起源があるのかを紐解いていきます。

マイエンヌ県クラオンでの祖先編

以下の記録が一番古い物となります。
古すぎて、年代などがはっきりしません。
しかし、かなり位の高い人物だったようでお墓が残っています。
時代が時代なので、女性の記録が残っていないことが多いです。
もしかしたら、女児も誕生していた可能性はなきにしもあらずでしょう。
よくわからない部分もありますが、直系の男児の記録を頼りに追っていきます。

今から約1100年前の祖先の経歴です👇

👨🏻 Lisois “Vetulus” de Craon, I (827?-907?) フランス Pays de la Loireで誕生。
👩🏻?  (?-?)

1人の子どもをもうけます。(Lisois Juvenus de Craonは長男)

👨🏻Lisois Juvenus de Craon(861?-916?) フランス Pays de la Loireで誕生。
👩🏻?  (?-?)

1人の子どもをもうけます。(André I de Craonは長男)

👨🏻André I de Craon(891?-961?) フランス Pays de la Loireで誕生。Craonの領主。
👩🏻Agnès de Craon (d’Anjou) (920?-987?) フランス Anjouで誕生.

1人の子どもをもうけます。(Lisois I de Craon, le Vieuxは長男)

👨🏻 Lisois I de Craon, le Vieux(959?-1007?) フランス Pays de la Loireで誕生。Craonの領主。
👩🏻?  (?-?)

2人の子どもをもうけます。(Suhard I de Craon, le Vieuxは長男)

👨🏻Suhard I de Craon, le Vieux (978?-1038?) フランス Pays de la Loireで誕生。Craonの領主。
👩🏻?  (?-?)

2人の子どもをもうけます。(Suhard II de Craon, le Jeuneは長男)

👨🏻Suhard II de Craon, le Jeune (1013?-1086?)
👩🏻?  (?-?)

2人の子どもをもうけます。(Hughes Suhard d’Isignyは長男)

👨🏻Hugues Suhard d’Isigny(1032-?) ユーグ・スハルト・ディズニー 
👩🏻?  (?-?)

2人の子どもをもうけます。(Robert Suhard d’Isignyは長男)

👨🏻Robert Suhard d’Isigny(1047-?) ロバート・スハルト・ディズニー 
👩🏻?  (?-?)

ロバートに関しては「ヘイスティングズの戦い」(1066年)に参加したこと以外は情報はありません。

引用元 https://www.geni.com

フランス起源は確証

フランス語なので、発音が難しいですが、名前に位が入っているのでわかりやすいです。

Suhard I de Craon, le Vieux →クラオンのスハルト1世、年配の世代
Suhard II de Craon, le Jeune →クラオンのスハルト2世、若い世代
このような意味です。

クラオン イズニー
© OpenStreetMap contributors

「若い方のスハルト2世」までは、フランス貴族で領主としてクラオン地域を支配していました。

ちなみに、もう1人次男の「Bouchard de Craon(1035-1106?)」はそのままCraon(クラオン)で結婚して娘を1人もうけています。
その娘がChemille(シュミレ)の領主と結婚してフランスで子孫を残しています。

長男のユーグが、イズニーへ移住してイズニーの領主となっています。
この時代、領主というの貴族の世襲制だったのでほとんど長男が継ぐのが普通でした。
しかし、長男の立場でイズニーへ移動して、縁もゆかりもない土地でどうやって領主まで上り詰めたのでしょうか・・・。
クラオンからイズニーへ攻め込んで領地を獲得したのでしょうか。
資料がないので憶測でしか書けません。

スハルト親子以前の祖先の情報はhttps://www.geni.comからの情報を元に作成しました。

一般的にはウォルトの祖先はスハルト親子から始まっています。
現存するディズニー家の子孫も「イズニー起源説」を正式に発表しています。
それなので、マイエンヌ県クラオンの祖先説は初情報でした。

どちらにしても、フランスが起源なのは間違いないですね。

DNAをたどると。。。

フランスが起源。しかもノルマンディー地方の。
そうすると、ディズニー家にはガリア人のDNAも混ざっていることになるかもしれません。

 The results of the study partially supported the notion that French people are largely descended from the Gauls.

出典: Wikipedia 『Gauls』より

「2018年12月に遺伝子の研究をした結果、フランス人の大部分はガリア人の子孫であるという考えを部分的に裏付けています。」(機械翻訳より)

よって、初期の祖先は、ノルマン人=ヴァイキング=スカンジナビア人+ガリア人となりますね。

ディズニー家とモンフレヴィル城

スハルト親子の仕事

スハルト親子について👇

・11~15世紀にかけてフランス・ノルマンディー地方のバイユーの有力な貴族でした。
・港(Isigny-Sur-Mer)を敵から守る仕事をしていました。
・バイユーを統治していた司教(オド)から絶大なる信頼を寄せられていました。

スハルト親子が統括していた土地👇

Europe map
© OpenStreetMap contributors

真ん中の三人の左側がバイユー司教のオド👇

Bayeux Tapestry
Dr Bob Hall Bayeux Tapestry

ディズニー家とモンフレヴィル城

イングランドへ攻めていった「ヘイスティングズの戦い」よりも遙か昔から建っていたお城がありました。

オレンジの丸の場所が「モンフレヴィル城」です👇

France Map
© OpenStreetMap contributors

このお城の解説を見てみると・・・

When William the Bastard (later William the Conqueror) was called upon to restore the throne of England from Harold to himself, he collected together the knights and landowners of Normandy. This included the owner of Monfreville, at the time Lambert D’Isigny. As William promised land in England as a reward, Lambert D’Isigny settled in Lincolnshire and later some of the family were offered land in Ireland by Oliver Cromwell.

https://www.chateaumonfreville.com/history/

「ウィリアム・ザ・バスタード(後のウィリアム征服王)がイングランドの王位をハロルドから自分自身に戻すように求められたとき、彼はノルマンディーの騎士と地主を集めました。
これには、当時のランバート・ディシニーであったモンフレヴィルの所有者が含まれていました。
ウィリアムが報酬としてイギリスの土地を約束したので、ランバート・ディシニーはリンカンシャーに定住し、後に家族の何人かはオリバー・クロムウェルからアイルランドの土地を提供されました。」(機械翻訳より)

その前の文章には、

Before the Norman invasion the chateau and land belonged to the Bishop of Bayeux and through him to the D’Isigny family. 

https://www.chateaumonfreville.com/history/

「ノルマンが侵略する前は、城と土地はバイユーの司教に属し、彼を通してディシニー家に属していました。」(機械翻訳より)

土地とお城はバイユー司教からd’Isigny家が譲り受けているとあります。
バイユー司教とはオドかと思ったら、違いますね。オド以前の司教でしょう。
その当時のd’Isigny家のオーナーが「Lambert d’Isigny ランバート・ディシニー」だったようです。
直系の祖先のスハルド親子とは親戚だったのでしょうか。

Lambert d’IsignyもSuhard親子同様、「ヘイスティングズの戦い」に参加し、それ以後はイングランドに定住しています。
その後の「モンフレヴィル城」が誰の手に渡ったのかわかりません。
現在はディズニー家とは関係のない、一般の家庭の方が所有し、運営されています。

そして出ました!「オリバー・クロムウェル」。
やはり、ディズニー家は彼からアイルランドの土地を授与されたとありますね。
          

 クロムウェルについてはアイルランド編に詳しく書いてます👇

弟のサイモン

どの文献や記録を見ても、ウォルトの祖先がノルマンディー地方から始まったと書かれています。
そして、スハルト親子が「Isigny」(現在の「Isigny-Sur-Mer」)の領主で、1066年の「ヘイスティングスの戦い」に参加したとしか書いてありません。
息子のロバートに関しては全く情報がありません。
戦いの混乱でわからなくなったのでしょうか。残念です。

実は、ロバートには弟が存在しています。
名前は「Simon Suhard d’Isigny」(1037-1097?)です。
彼は、まだ幼かったため「ヘイスティングスの戦い」には参加していません。
そのため、ノルマンディーの「Isigny」に残り、Suhard姓の子孫を何世代にも渡り残しています👇

「Simon Suhard d’Isigny」→「Philippe de Saint-Lambert Suhard」→「Richard Suhard」→「Roger Suhard de Russy et de la Baleine」→「Roger Suhard de Russy」と言った具合に繋がっていきます。

引用元 https://www.geni.com

気になる情報も・・・

こんな情報があります。。。

The earliest known ancestor of Walt Disney, with a similar name, was Jean-Christophe d’Isigny (“of Isigny”), the branch settled in what is today called Norton Disney in England.

出典: Wikipedia 『Isigny-sur-Mer』より

ウォルト・ディズニーの最も初期の知られている祖先は、同様の名前で、今日こんにちイギリスのノートン・ディズニーと呼ばれる場所に定住したジャン・クリストフ・ディジニー(「イズニーの」)でした。  (機械翻訳より)

「Isigny-sur-Mer」のウィキペディアに書いてあるこの1文。
さらっと新しい名前の人物が登場しています。
その名も、Jean-Christophe d’Isigny(ジャン・クリストフ・ディジニー)。
この方も「ヘイスティングズの戦い」に参加し、その後「ノートン・ディズニー」で暮らしたとされています。
初期の祖先と書かれているのですが、この情報は初めてでした。

どこにも書かれていない情報なので深く掘り下げることが出来ません。
スハルト親子が祖先ではなく、この方が祖先だとしたら家系図の何もかもが違っていることになります😫

感想

「マイエンヌ県クラオン」から「イズニー」の祖先説を追ってみました。
800年~1000年代始めは日本では平安時代です。
日本でもなかなか平安時代まで祖先を辿れる人は少ないと思います。

スハルト親子より前の世代の情報が知れたのは収穫でした。
この情報が正しいことが前提となりますが・・・。

また、「ジャン・クリストフ・ディジニー」を調べてみましたが、本当に有力な情報が載っていなくて混乱しています。
ひとつだけ、彼は、貴族ではなく農民だったとは書かれていました。
位が高くないので記録が残っていないのでしょうね。
なんとも、煮え切らない情報ですみません。
実際にイングランドの「ノートン・ディズニー」へ行き、調べればわかるのかもしれませんね。

名前の呼び方ですが、Suhard はフランス語では「シュアール」と発音されます。なるべく英語読みにした方がいいかなと思いまして、このブログでは「スハルト」としています。
お父さんのHuguesも文献によっては、「ユグス」や「ヒューグ」など違った読みもあります。ここでは「ユーグ」と表記します。



次はイングランド編に続きます👇


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