Disney家の名前の由来について その1 歴史から学ぶ編

France ウォルトディズニー
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フランスに起源あり

歴史を遡ると…

生前ウォルト本人はアイルランドからの移民で「I’m half Irish.」と公言していました。
しかし、ディズニー家は、2016年12月14日に祖先がフランス出身だったと公式に発表しました。

今からさかのぼること約954年前…

フランス ノルマンディー地方のカルバドス県バイユー地区のイズニー港の領主であったHughes Suhard(ユーグ・スハルト) とRobert Suhard(ロバート・スハルト) の親子がいました。
ヘンリー2世(1133-1189)の時代に発行された特許状によると
Hughes Suhardは「gardien et maître du port d’Isigny」(イズニー港の領主)だったと証明されています。

引用元 https://www.allocine.fr/article/fichearticle_gen_carticle=18639071.html


この親子が「ヘイスティングズの戦い(Battle of Hastings)」に参加したことから物語は始まります。

イングランドでの戦いのあと、フランスには戻らないと決意します。
その後イングランドで子孫達がコミュニティーを築き何年も過ごします。

一部の子孫達がアイルランドへ移住します。その中にウォルトの祖先達がいました。
ウォルトにとって最も身近な祖先である祖父母が産まれたのがアイルランドです。
それなのでアイルランドに縁を感じるのは当然のことでしょう。

簡単に説明すると👇

ノルマンディー公・ギョーム2世にSuhard親子が地元の兵士と共に召集されます。
1066年イングランドを征服後、そのままイングランドに定住します。
Suhard親子の子孫がアイルランドへ移住し、曽祖父のアランデルから祖父ケプルが産まれます。

Europe map
openstreetmap.org

ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)

1066年 ヘイスティングの戦い

ノルマンコンクエスト
JR P Bayeux, Normandy and the Tapestry Museum – September, 2017

・106?年フランスのノルマンディー公のギョーム2世(1028-1082)はイングランド攻撃を企てる。
・1066年9月25または28日、6000人の騎士を含む12000の兵を率いてイングランド南岸に侵入。
・約2週間のイングランド全土での戦い。(ノルマン軍VS.イングランド軍)
・10月14または19日、イングランドサセックス州ヘイスティングを攻める。
※日付は諸説あり

祖先のユーグ・スハルトは34歳の時に「へイスティンズの戦い」に参加しています。
息子のロバートはおそらく10代半ばだったでしょう。

ヘイスティングスの戦いの絵巻が巾着に!👇

初代イングランド王 ウイリアム1世誕生

イングランド王国のノルマン朝

・1066年10月14または19日、イングランド軍のハロルド2世が落命。
・これによりノルマン軍のギョーム2世がイングランドを征服。

・ギョームと言うフランス式の呼び方を、英語名のウイリアムに変更。

・クリスマスの12月25日、ウエストミンスター寺院にてウイリアム1世として王に君臨。

・イングランドでノルマン朝(1066-1154)を開き、初代のイギリス王室の王となります。

ウイリアム1世の銅像👇

William the Conqueror
Barbara Auger William the Conqueror

現在のイギリス王室のご先祖様がウイリアム1世(ギョーム2世)。
フランス人が開祖になった理由は戦いで負けたからなのですね。
そして、このウイリアム1世がフランスの貴族制度をイギリスに広めたのです。

Suhard親子は称号と領地を与えられ

ユーグとロバート親子はイングランド王のウイリアム1世から戦いに貢献したことを称えられます。
ノルマンディー地方の出身地である「Isigny」から名前を取り「Lord of Isigny 」(イズニーの君主)の爵位を授与されます。

その時代は「Isigny」と言う名前の領土でしたが、1924年に「Isigny-Sur-Mer」と改名されます。
ちなみに、Sur-Merとは「海沿い」の意味です。

現在の Isigny-Sur-Merはここ👇

Europe map
© OpenStreetMap contributors

Isignyの名前の由来は、
・かつてこの地で崇拝されていたグレコ・エジプトの女神「イシスの火」から取ったもの。
・近くにあるとされる水没して失われた都市「イース」から取ったもの。
このどちらかが、有力だそうです。

引用元 https://en.wikipedia.org/wiki/Isigny-sur-Mer

ノートン・ディズニーの領地を?

爵位と共にイングランドの領地も与えられ、生まれ故郷のIsignyへは戻りませんでした。
与えられた領地は、今の「Norton Disney(ノートン・ディズニー)」(リンカンシャー州リンカンの南)辺りなのかもしれません。
思いっきり「ディズニー」と名前が付いているのに、断言できない理由は・・・👇

Domesday Book (/ˈduːmzdeɪ/ or US/ˈdoʊmzdeɪ/;[1][2]LatinLiber de Wintonia “Book of Winchester“)is a manuscript record of the “Great Survey” of much of England and parts of Wales completed in 1086 by order of King William the Conqueror.

出典: Wikipedia 『Domesday Book』より

「ドームズデイ・ブック」
・1086年にウイリアム1世が命令によって作成されたもの。
・イングランドの大部分とウエールズの一部の土地所有者の名前、広さ、価値などの記録台帳のこと。

この記録台帳によると、領地付与の証拠記録がないとされているのです。

1200年代のディズニー家

「ドームズデイ・ブック」の記録によると、ディズニー家の登録は、ヘンリー3世の時代(1216-1272)の「William d’Isigny」が最初の登録者です。
1273年にはリンカンシャー州に「Johannes d’Isigny」、ランカンシャー州に「Thomas d’Isigny」が登録されています。

また、1379年ヨークシャー州の人頭税の記録に「Edward Disney」の記録が残っています。

1400年後半から1641年までの直系の祖先がイングランド・リンカンシャー州で産まれています。(ノートン・ディズニーの近く)

ちなみに、現在ノートン・ディズニーにはDisney姓の男性子孫の住人はいないそうです。
※2011年の国勢調査の人口は226人でした。

とにかく、祖先達は数百年間イングランドで過ごしていたようです。

ちなみに、1940年代後半にウォルトはこの場所に訪れています。
祖先について夢中になって調べていたようです。
1990年には兄のロイ・オリバーも訪れています。
謎は解けたのでしょうか?
もしも回顧録を出版していたらものすごく売れたでしょう。
しかし、実際はそんな時間なかっただろうし、家系図の公表をしてもなんの意味もないと思ったのでしょうね。残念です。

ノートン・ディズニーの歴史

・1150年 地名の名前は「William de Ysini」でした。
・1131年頃 「Norton Isigny」に改名。
・後に「Norton Disney」となる。

リンカンシャー州ノートン・ディズニーの場所はこちら👇

norton disney
© OpenStreetMap contributors

引用元 https://trilliansthoughts.tumblr.com/post/81020493607/from-disigny-to-disney
引用元 https://en.wikipedia.org/wiki/Norton_Disney

引用元 http://www.4crests.com/disney-coat-of-arms.html

「ドームズデイ・ブック」には記載されているかいないかは、どちらともいえません。
しかし、領地の名前として今でも残っているで直系の祖先や親戚がここにたくさん暮らしていたことでしょう。
現在、子孫が暮らしていないのはさみしいですね。

イギリスと言えばこのショートブレッド!大好きです。マーガリン不使用なのが嬉しいです。個別包装なので食べ過ぎも抑制できます👇

感想

長くなりそうなので、一旦区切ります。
その2へ続けます。

今回は、ウォルトの祖先であるスハルト親子の生まれ故郷から歴史をたどってきました。
様々な情報がありますが、何しろ時代が古くて正確な情報にたどり着けているか確証が持てません。

世界史で習ったうる覚えのある言葉が出てきました。
全然内容を覚えておらず、普段頭を使う作業をしていないので理解するのにものすごい時間がかかりました。
しかし、イギリス王国の成り立ちを知ることができ私にとって大収穫でした。
今後、中世を題材にしたドラマを見るのに役立ちそうです🤗

続きはこちらです👇


タイトルとURLをコピーしました