The Legend of Sleepy Hollow(スリーピー・ホローの伝説)について

The Headless Horseman Rides Tonight ディズニー映画
Joe Penniston The Headless Horseman Rides Tonight
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ディズニー映画『The Legend of Sleepy Hollow(スリーピー・ホロウの伝説)』については、以前の記事に上げました。

2021年10月31日🎃に記事を公開しています👇

この記事を元に動画を作りました。


今回は、映画の原作本 ワシントン・アーヴィング著『The Legend of Sleepy Hollow』についてと、ニューヨークから15マイル(24.14km)北上した所に実在する村「Sleep Hollow Village(スリーピー・ホロウ村)」について取り上げます。

スリーピー・ホロウ村の観光客が多いのは、やはり10月👇

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イカボード・クレインの名は、実在した人物から名付けた説

実は、以前公開した記事

かなりぶっ飛んだ考察をしてみます。
Ichabod Crane(イカボード・クレイン)のCraneは、日本語に訳すと「」です。
日本では、縁起のいい鳥のイメージが強いですが、なんと北欧圏内では、こんなイメージがあるようです。
(中略)
ケルト神話に親しみがある北欧諸国では、“死を運ぶ鳥”として畏怖されています。

だから、名前がCraneとなったのかもしれません。
なんで、の単語が名前なんだろうと不思議に思っていましたが、原作者のワシントン・アーヴィングが意図して名付けたのかもしれませんね。

https://florlando2881.com/the-legend-of-sleepy-hollow-disney-movie/

と、誤った考察を書きました。
「無知は罪」ですね。申し訳ありませんでした。

後々、調べていたら。。。なんと名前の由来となった方が実在していたことが判明!

イカボード・ベネット・クレイン(Ichabod Bennet Crane、1787年7月18日~1857年10月5日)は、48年間アメリカの軍人で、ワシントン・アービングの「スリーピー・ホロウの伝説」の主人公の名前の由来となった可能性が高い人物。

ワシントン・アーヴィングの『The Legend of Sleepy Hollow』の登場人物は、イカボード・クレインと名付けている。
ワシントン・アーヴィングは、登場人物の名前がクレイン大佐に由来することを明確に認めませんでしたが、ふたりは1814年にニューヨーク州オンタリオ湖畔のサケット港で出会っていたのです。
アーヴィングはニューヨーク州知事ダニエル・D・トンプキンスの副官として、サケット港地域の防衛を視察していました。

引用元 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Washington_Irving

「明確に認めませんでした」と書いてありますが、どうでしょうか。
ふたりが出会ったのが1814年。本を出版したのが1819年ですから。

48年間もアメリカ陸軍として国に貢献されたIchabod Bennet Crane氏👇

イカボード・クレイン大佐は、ワシントン・アーヴィングの小説の主人公に、自分の名前が無断使用されたことでアーヴィングを大変憎んでいたと伝えられています。
軍人の自分とは、似ても似つかない弱々しい主人公の名前にされてご立腹だったことでしょう。
当時から誰もが知っているほど、大人気小説でしたから。

印象的なファーストネーム

注目すべきだったのは「クレイン」の方ではなく、「イカボード」の方だったのです。
申し訳ありません。。。

Ichabod(イカボード)は、とても珍しく印象的なファーストネームで、聖書に由来しています。
聖書でIchabod(イカボード)は、Phinehas(フィネハス)の息子の名前です。
ただし、ヘブライ語では「栄光のない」「栄光がない」と少し残念な意味を持ちます。

聖書の中の「イカボード」

神の教えに反してはいけないと説く、聖書のお話👇

・大祭司Eli(イーライ)のふたりの息子 Hophni(ホフニ)とPhinehas(フィネハス)が起こした数々の悪行と、その行為に対して父イーライも注意しなかった。

・神ヤハウェの怒りを引き起こす。「3人の悪行は、いつの日か、裁きを受けるであろう」

・息子たちは、イスラエル人の最も神聖な遺物である「契約の箱」の管理を任されていたが、ペリシテ人との戦いに敗れたため「契約の箱」は奪い去られ、彼らは◯されてしまう。

・その知らせを聞き、イーライは椅子から転倒し首の骨を折り死亡。

・身重だったフィネハスの妻は、夫と義父が同じ日に亡くなったことにショックを受け、陣痛が始まってしまう。

・無事に出産したが、我が子に「イカボード」と名付けた後、亡くなる。

母が「イカボード(栄光がない)」と、残念な名前をつけた理由👇

苦しみと絶望の中で、神の声を無視する者には「裁きが下る」こと。
イスラエルから「契約の箱」がなくなり「神の栄光が失われたこと」を嘆いたため。

義父と夫に対して、戒めを込めて付けられた名前でした。

イカボードは、母親が死ぬ間際に恐ろしい意味がこもった名前をつけられたことや、産まれてすぐに孤児となったことで、自暴自棄になり人生が壊れてもおかしくなかったはずです。

しかし、彼は神の栄光がイスラエルに戻ることをだけを願い、祭司を続けました。
そして、最終的に「契約の箱」はイスラエルに戻ったのです。

このことから「イカボード」は、単に残念な名前ではない印象が強くなります。
同様にイカボード・クレイン大佐も、周囲の方から慕われていました。

イカボード・クレイン大佐の墓碑名ぼひめいです。

彼は48年間 国に仕え、彼を知るすべての人々から愛され、尊敬されていました。

イカボード・クレインのモデル

次は名前ではなく、実在した人物がイカボード・クレインのモデルになった話です。

著者のワシントン・アーヴィングと30年もの間、親交があった人物をモデルにしています。
ニューヨーク州コロンビア郡キンダーフックの初代校長だった Jesse Merwin(ジェシー・マーウィン)さんです。

歴史的構造物として1930年代の外観に復元され、現在も Ichabod Crane Schoolhouseの名前で保存活動が行なわれています👇

実在するスリーピー・ホロウ村

小説「The Legend of Sleepy Hollow」の舞台は、オランダ人入植者が多く住む、1790年代のニューヨーク州スリーピー・ホロウ村。

ニューヨーク州スリーピーホロウ村のアルバニー・ポスト通り。
17世紀に建てられた石造りの教会の「スリーピー・ホロウの旧オランダ教会(Oude Nederlandse Kerk van Sleepy Hollow)」です。
この教会と教会堂は、1820年に出版されたワシントン・アーヴィングの小説「スリーピー・ホロウの伝説」に登場しています。

小説のラストに出てくる「ヘッドレス・ホースマン」

「ヘッドレス・ホースマン(首なし騎士)」は、アメリカ独立戦争中に砲弾で斬首された実在したドイツのヘッセン兵がモデル。
ヘッセン兵の亡霊は、夜ごと自分の頭を求め、遺体が埋葬されている旧オランダ教会やオランダ人墓地周辺を彷徨っていると言われています。

しかしヘッドレス・ホースマンは、墓地近くのポカンチコ川にかかる橋(ヘッドレス・ホースマン・ブリッジ)を渡ることができません。
※「現世」と「あの世」を分ける三途の川に架かる橋のようだと想像しました。

実際のポカンチコ川にかかる「ヘッドレス・ホースマン・ブリッジ」 右上👇

スリーピー・ホロウ村の様子

仮装も見られます
建物や救急車にも「ヘッドレス・ホースマン」
ジャック・オー・ランタンでライトアップされた「ヘッドレス・ホースマン・ブリッジ」
圧巻です。

感想

原作の「The Legend of Sleepy Hollow」の主人公イカボード・クレインの名前は、イカボード・クレイン大佐から。
大まかな性格の描写は、親友のジェシー・マーウィン校長先生から。
モデルにされた張本人は、当時は複雑な心境だったでしょう。
でもこうして200年もの間、世界中の人々の心に残る作品として生き続けるとは思わなかったでしょうね。
1820年に出版されて、一度も絶版になっていないのがすごいです。

毎年10月になると小説が読まれ、関連する映画が見られています。
舞台となった「スリーピー・ホロウ村」へも足を運ぶ人もいます。

ディズニー映画がきっかけで、詳しく調べてみましたが、いつか英語の原作にチャレンジしてみたいと思いました。


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