ウォルト・ディズニー没後55年

Walt Disney supervising Main Street USA construction, 1955 ウォルトディズニー
Tom Simpson Walt Disney supervising Main Street USA construction, 1955
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1966年12月15日 世界の人々が悲嘆に暮れた日

毎年12月は喜びと悲しみが、両方訪れる月です。

12月5日はウォルト・ディズニーの生誕をお祝いし祝福のメッセージが世界中で溢れます。
12月15日はウォルト・ディズニーが亡くなったことを悲しむメッセージが世界中で溢れます。

55年前のこの日、世界はウォルト・ディズニーの死を悼みました。

ウォルト・ディズニーがどのような生涯を送ってきたのか、簡単に振り返ってみたいと思います。

良き父であったウォルト

良き父であった様子が伺える、微笑ましい映像満載です。

ウォルトは、子どもの頃に父親のイライアスから、厳しく育てられ、時には体罰も受けていたようです。
そんな父親を反面教師にし、自分の娘2人には決してそのような悲しい思いをさせず、家族思いの父でありました。

晩年のドキュメンタリー

概要欄の説明文です。(機械翻訳より)

1966年の最後の数ヵ月、ウォルト・ディズニーの健康状態は急速に悪化していたが、彼は最後の最後まで自らを奮い立たせていた。
この時期、ウォルトにはたくさんの素晴らしい計画がありましたが、彼の最大の関心事はフロリダ計画、特に彼の都市であるEPCOTでした。
ウォルトの弟であるロイ・O・ディズニーは、彼がセントジョセフ病院の部屋の天井を見つめながら、まるでそこに詳細な地図が描かれているかのように、明日の未来型コミュニティの計画を指し示していたと語っています。
ウォルトの最期は、これだけではありません。
彼の親しい友人、家族、協力者、専門家が登場するこのハートフルなクリップで、ウォルト・ディズニーの最期の日々を直接語っていただきます。

ウォルトのオフィスを見学

カリフォルニア州バーバンクの生前ウォルトが、実際に使用していたオフィスを訪ねる動画です。
※ウォルトのオフィスは、一般には公開されず、特別に招待された人の見学ができます。

旧アニメーション館の3階に「スイート 3H」(ウォルト・ディズニーのオフィス)があります。
ウォルトは、1940〜1966年に亡くなるまでここで仕事をしていたそうです。
2015年に「スイート3H」はウォルト・ディズニーを讃える永久展示として、完全に改装されました。

Norman Rockwell(ノーマン・ロックウェル)が描いた娘ふたりの絵を大事に飾っています。
他にも貴重なものがたくさんあり、ファンにはたまらないと思います。




「ここで仕事をしていたんだ。ここに彼が座っていたんだ。信じられないよ。」
抑えきれない気持ちが伝わる動画です。

本棚にある一冊の本に気がつきましたか?
日本語の本がチラリと映ってました。
1960年(昭和35年)に出版された、この本です。

ぼくのアメリカ日記』山内宏利 著

  • もくじ /
  • この本を読むみなさんへ・小野昇 / 1
  • まえがき / 7
  • 一 青空をかける心 / 9
  • 二 遊びに行くのじゃない / 14
  • 三 上京 / 21 (0016.jp2)
  • 四 羽田発二十二時三十五分 / 28
  • 五 第一声「グッド モーニング」 / 38
  • 六 もう一度ハワイへ / 45
  • 七 カー カー ストップ / 50
  • 八 ホテルの九階で第一夜 / 67
  • 九 ディズニーおじさん こんにちは / 74
  • 十 ホワット ハブ ユウ / 86
  • 十一 日本町 / 100
  • 十二 相撲は負けないよ / 112
  • 十三 映画の都ハリウッド / 118
  • 十四 ハリウッド・ホールの音楽会に / 124
  • 十五 まるでゆめのなか(第一日目) / 129
  • 十六 まるでゆめのなか(第二日目) / 139
  • 十七 だんろの火はもえて / 160
  • 十八 花の道 / 171
  • 十九 ネオンの花さくハワイ / 179
  • 二十 日の丸の旗よ ばんざい / 183
  • 二十一 元気で帰ってまいりました / 192 (0102.jp2)

「国立国会図書館デジタルコレクション」より

引用 https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000283980-00

※この資料は、著作権の保護期間中であるか、著作権の確認が済んでいない資料のためインターネット公開をしていません。閲覧を希望される場合は、国立国会図書館または図書館送信参加館へご来館ください。

山内さんは、読売新聞社 全国小・中学校綴り方コンクールで、1956年12月(第6回)と1957年12月(第7回)に連続入選されました。
そして、当時小学生だった山内さんに、アメリカ旅行がプレゼントされます。
その際ウォルト・ディズニー本社を訪れて、ウォルト・ディズニー本人を表敬訪問しました。

その時の気持ちを綴った本が、ぼくのアメリカ日記』山内宏利 著 です。
ウォルト・ディズニー本人に会ったことのある貴重な日本人なのですね。
ウォルト・ディズニーの所属コレクションに入っているのがすごいと思います。
どんな内容か読んでみたいのですが、東京の国立国会図書館まで行かないと読めません。

ウォルトの思い描いた夢が現実に

世界中のディズニーファンの方々が発する、喜びと悲しみの行き着くメッセージのすべては、ありがとうの感謝の気持ちで溢れています。
心から彼の偉業を感謝し、優しい気持ちでいっぱいのコメントばかりです。

今こうしてディズニーのパーク・映画・音楽など一般の人々の生活に、なくてはならない存在のエンターテイメントとしてあり続けています。

WDWパークを訪れた時に強く感じたことがあります。
親子3世代でお揃いのディズニーTシャツを着て、たくさんおしゃべりをして家族みんなでアトラクションやレストランで楽しむ姿を至る所で見ていて思いました。

東京ディズニーリゾートで、親子3世代や親戚などの大家族で楽しんでいる家族はどのくらいいるのかと。
ほとんどいないのではないでしょうか。
友達・仲間同士、カップル、核家族のグループでほぼ占められていると思います。

親子3世代or2世代、老若男女の幅広い世代のグループの割合が9割・・・WDW

友達・仲間同士、カップル、核家族の若い世代のグループの割合が9割・・・TDR

(あくまでも、フローランド調べです。)

このような感じで、ゲストのグループ構成が真逆なのです。

WDWを家族で旅行する文化が、アメリカ人に根付いた結果ではないでしょうか。

それは、ウォルトがパークを建設する際に強く思ったことでした。
年齢関係なく、誰もが楽しめるパークを作る!と。
ウォルトの思い描いた夢である「清潔で、世代を超えて楽しめる体験型パーク」が現実となっています。

1955年7月17日 ウォルトがした、ディズニーランドの開園宣言にすべてが表されています。

To all who come to this happy place, welcome.
Disneyland is your land.
Here, age relives fond memories of the past.
And here, youth may savor the challenge and promise of the future.
Disneyland is dedicated to the ideals, the dreams, and the hard facts that have created America,
with the hope that it will be a source of joy and inspiration to all the world.

Walt Disney

「この幸せな場所に来られた皆様、ようこそ。
ディズニーランドはあなたのものです。
ここは、大人達には過去の懐かしい想い出がよみがえり、
また、子供達は何かに挑戦したり素晴らしい未来を体験できるかもしれません。
ディズニーランドは、アメリカを形造ってきた理想、夢、または厳しい現実に捧げられた場所でもあります。
そしてまた世界中の人々に楽しい思い出を作ってもらえるような場所となるよう願っています。」(ざっくり日本語訳)



2021年10月の50周年後からは、たくさんの家族連れのゲストでパークは連日、満員御礼状態です。
年齢は関係なく、ディズニーを愛していて、ディズニーマジックを心から楽しんでいるアメリカ人を見ると、単純に羨ましくなりました。
そして、ウォルト・ディズニーの思考が現実となった現在のパークを見ていると嬉しくなります。
遊びに来ているゲストも、同じ思いだと思っています。
ありがとう、ウォルトと心から言いたいです。

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