「So Dear to My Heart」(わが心にかくも愛しき)
今から70年以上前のディズニー映画。
1949年公開の「So Dear to My Heart(わが心にかくも愛しき)」を取り上げます。
この作品は、古すぎることと、日本で公開されていないので詳細を知らない人がほとんどだと思います。
現在は在庫切れで購入できませんが、パッケージの雰囲気だけ見てください👇
実はこの映画、ウォルトのお気に入りの作品のひとつなのです。
ウォルトは「この作品は、私とロイが子ども時代を過ごしたミズーリ州マーセリンのことを描いているのです。」と、はっきりマーセリンでの想い出を組み込んだ映画だと語っていました。
この動画はウォルト本人が「So Dear to My Heart」を宣伝しています👇
スターリング・ノースが1943年に発表した児童文学「Midnight And Jeremiah」(ミッドナイトとジェレマイア)を元に、脚本が書かれます。ディズニー作品ではおなじみの実写とアニメーションのミュージカル映画です。
元々は、実写版のみで撮影が完了していました。
しかし、ウォルトは完成した作品を見終えた後「何かが足りない」と思いアニメーションの効果を加えることにしました。
アニメーションを追加して映画の公開が遅れに遅れ、1948年の年末になってしまったそうです。
「So Dear to My Heart」はどんな作品?
以下、簡単にあらすじを書いていきます👇
・1903年インディアナ州フルトンコーナーが舞台の物語。
・主人公のジェレマイアは、農場で祖母のグラニー・キンケイドと暮らしています。
・とある日、有名な競走馬のダン・パッチ🐎が蒸気機関車で町にやってきます。
・町の住民は、ダン・パッチをひと目見ようと集まります。そこには、目をキラキラ輝かせたジェレマイアもいました。
・ジェレマイアの農場の納屋では、羊が3頭の赤ちゃん羊を産みます。
・1匹だけ黒い子羊が産まれますが、母親羊はその黒い赤ちゃん羊を拒否します。
・ジェレマイアはその黒い羊にダニーと名付け、母親羊の代わりにかわいがります。
・ダニーは成長し、納屋の扉を壊したり、洗濯竿を倒したりと目に余る行為ばかりしていたので、祖母から厄介者扱いされていました。
・そんな中、鍛冶屋のハイラム・ダグラスおじさんなどから、郡で開催される「パイク・カウンティー・フェアー(品評会)」で入賞すれば、ブルーリボン賞と賞金がもらえることを聞きます。
・ジェレマイアはダニーを品評会で優勝させたいと思い始めます。
・しかし、祖母はダニーの価値を認めず、しかもジェレマイアに賞に目がくらんでいるだけだとたしなめ、品評会に参加することに疑問を持ちます。
・そんなこんなで、結局祖母から、自分の考えは間違っていたと言われ、品評会に参加します。
・そしてダニーは賞を・・・。
このような話でした。
実写の合間のシーンに、アニメーションのフクロウや動物達のキャラクターが登場します。ダニーもアニメーションになるシーンもありファンタジー要素が多くハートウォーミングな作品です。
ウォルトの子ども時代は、こんな感じだったんだなと感じることが出来ると思います。
こひつじのダニー
作中に登場する黒羊のダニーですが、東京ディズニーリゾートでは、2015年の未年にちなみ「こひつじのダニー」をキャラクターにして、オリジナルグッズを販売していました。
こんな感じです👇日本はキャラクター化するのがかなり上手ですね。
日本未公開映画なのにキャラクターにしてしまい、しかも本場のアメリカのディズニーパークでは存在しないキャラクターとは。
変な感じがしますが、レアだと思います。
次回2027年の未年にも、また登場してくれるのかどうか楽しみですね。
アカデミー歌曲賞ノミネートの「ラベンダー・ブルー」
そして作中で流れる曲がまた素晴らしいのです。
第22回アカデミー歌曲賞にノミネートされた曲がこちら。
バール・アイブスによる「Lavender’s Blue」です。
仲良しのハイラム・ダグラスおじさんがギターを抱えてこの曲を歌い、ジェレマイアや祖母と踊る場面があります。
この曲の原型は、17世紀イギリスの民謡や童謡です。
様々なバージョンや歌詞も自由に変えて歌われているので、どこかで一度は聴いたことがあると思います。
ディズニー作品では、2015年公開のこちらのバージョンの方がよく知られています。
実写版「シンデレラ」でリリー・ジェームズが歌っています👇
競走馬のダン・パッチ
黒い羊のダニーの名前は、ジェレマイアが憧れる名馬のダン・パッチにちなんで名付けられました。
ダン・パッチ(1896~1916)は、実在した競走馬です。
ウィキペディアを読んでみると無敗の成績を残した名馬で、当時はかなり有名だったようです。無敗ってすごくないですか?
当時の競馬は「ハーネス・レーシング」と呼ばれ、馬にハーネスを装着する形でレースしていたのですね。現在のスタイルとは全然違うので驚きました。
こちらの写真は1901年のダン・パッチです。
ウォルトの生まれた年に撮影されています👇
なぜダン・パッチが作中に登場させたかと言うと・・・
すごい事実が発覚しました。
なんと、ウォルトがマーセリンに住んでいたとき、父イライアスの農場には、ダンパッチの孫を飼っていたと言うのです!
ウォルトにとっても、ディズニー家にとっても自慢の馬のことが強烈な想い出として残っていたのですね。
蒸気機関車と駅舎
ダン・パッチは蒸気機関車で町にやってきます。
その他にも、随所に蒸気機関車のシーンがあります。
さすが、鉄道オタクのウォルト。
作中に登場する蒸気機関車ですが、かつては「ヴァージニア・トラッキー鉄道」で活躍していた車両なのです。
また、木製のヴィクトリア調の駅舎はカリフォルニアのディズニーランドの「フロンティアランド駅(現在のニュー・オーリンズ・スクエア駅)」のモデルとなっています👇
マーセリンのディズニー家の農場をモデルに
作中のセットとして作られたのが、ウォルトがマーセリン時代に住んでいた農場にあった建物をモデルとしているのです。
典型的なのは、赤い壁の納屋です。
ウォルトの子ども時代のマーセリンの家👇
ディズニー家が実際に使用していた納屋に似せて作りました。
そして映画の撮影後の1950年に、自宅の裏庭に移設します。
そこでは「キャロルウッド・パシフィック鉄道」を走らせていた話は有名ですね。
線路上のスイッチを管理・遠隔操作するための納屋こそが、映画の建物なのです。
レプリカとは言えども、思い入れのある赤い壁の納屋でウォルトは家族や友人との貴重な時間を過ごしたり、新しいアイディアを生み出す場所でした。
きっと心安まる場所だったのでしょう。
現在はロサンゼルス市のグリフィス・パークに保存されています👇
貴重な写真や展示物を見学することが可能です👇
原作を書いたスターリング・ノースについて
ウォルトとスターリングの共通点
スターリング・ノース(1906~1974年)はアメリカの作家です。
ウィスコンシン州で生まれ育ち、家は農家でした。
ウォルトとほぼ同年代に育ち、農業をしていた両親に育てられるなど、少年時代の環境が似ていたと思います。
「Midnight And Jeremiah」の作品を読み、共感できる箇所がたくさんあったのでしょう。
原作をディズニー映画に合わせ書き直します
スターリング・ノースは原作の「Midnight And Jeremiah」を1943年に発表。
ディズニー映画として「So Dear to My Heart」を1948年に公開します。
ディズニー映画を見たスターリング・ノースは原作そのものの書き直しをして、翌年の1949年に改訂版を出版しています。
書き直された箇所は、ダン・パッチを登場させ、ダニーが逃げ出す場面を最初の方にしたり、品評会の参加を最後の方にするなどです。
完全に映画に寄せましたね。
映画を見て、原作者が本を書き直すなんてことが実際にあるのですね。
ウォルトが感じていたのと同じように、スターリングもウォルトの作品に共感したのでしょう。
日本で有名な彼の作品は「あらいぐまラスカル」です👇
さいごに
なぜこのディズニー映画の「So Dear to My Heart」を取り上げたかと言うと・・・。
ウォルトの子ども時代に過ごしたミズーリ州マーセリンのことを調べていたからです。
ウォルトがとても大切にしていた作品のひとつなのに、日本では公開されていないし、DVDなどのソフトも売っていないのを残念に思ったのです。
昔の古き良きアメリカを描いたほのぼのした作品です。
ディズニークラシックとして販売されるといいなと思っています。
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