流行に乗ってSuhard親子も名前を…
その1からの続きです👇
では、どのように名前を変えていったかをみていきたいと思います。

①ノルマンディー公・ギョーム2世にSuhard親子が地元の兵士と共に召集されます。
②1066年イングランドを征服後、そのままイングランドに定住します。
③スハルト親子の子孫がアイルランドへ移住し、曽祖父のアランデルから祖父ケプルが産まれます。
前回は②のイングランド征服まで書きました。
今回はイングランドで名前を英語風に変えるまでを書いていきます。
流行に乗って、d’Isigny へ改名
イングランド征服後にそのまま移り住んだノルマンディー地方の人達や後から移動してきた人達は、
こぞって自分の名前にフランスの出身地をつけていたようです。当時の流行みたいなものでしょうね。
スハルト親子も姓を「d’Isigny」 へ変えます。(イズニー出身と言う意味のフランス系の名前)
※「de」はフランス語の前置詞・定冠詞がそのまま姓の一部となる用法。英語の「of」と同じです。
母音で始まる単語のとき「de」は「d’」に変化します。
❌ de Isigny
⭕ d’Isigny
d’IsignyからDisneyへ
イングランドでの公用語がフランス語から元々の英語へ変わっていきます。
それは1337~1453年のイングランド王国VS.フランス王国による「百年戦争(Hundred Years’ War)」がきっかけでした。
イギリス王国は敗戦を喫します。
敵国だったフランスの言葉が公用語とは許せないと、国内で民衆の声が高まります。
そうして次第に英語を公用語に戻していきました。
その流れに乗り、スハルト親子の子孫達も姓を「d’Isigny」から「Disney」と英語風に変化させたのでしょう。
親戚がウォーリック城に囚われて
・1642年10月23日に勃発したエッジヒルの戦い(Battle of Edge Hill)がありました。
→イングランド・アイルランド・スコットランドの三王国間で起こったピューリタン革命(Puritan Revolution または Wars of the Three Kingdoms)の最初の戦闘。
このエッジヒルの戦いで敗北し、ウォーリック城 に捕虜として囚われてたいたディズニー家の兵士がいました。
Edward Disney(エドワード・ディズニー)です。
幽閉されていた城の壁に、自分の名前と年代を彫っていたのが確認されています。
一緒にいた仲間が彫った痕跡と照らし合わせると、どうやら1643年3月23日に彫られてたようです。
少なくとも半年~1年は収監されていた模様。
オリバー・クロムウェル護国卿(いわゆる「君主」のこと)へ、戦いの資金をディズニー家が調達したことにより解放されました。
ウォーリック城👇

ちなみにこのウォーリック城、中世の体験ができたり、花火が上がったり、夏はグランピングもできるようで楽しそうなイベントがたくさんあります。
1643年に生存していたウォルトの直系の祖先にエドワード・ディズニー氏の名前は確認できなかったので、おそらく親戚でしょう。
オリバー・クロムウェルの軍隊に資金を渡して保釈されています。
このことからも、やはり裕福な暮らしをしていたことがわかります。
貴族だったとの記録もあるようです。
もし、保釈されていなかったらどうなっていたか・・・😣
感想
学生時代、第1外国語ではフランス語を専攻していました。しかも2年間も・・・。
それなのに、全然話せないし読めないし書けないし!情けないです😥
唯一「母音で始まる単語のとき「de」は「d’」に変化します。」の部分は覚えていました。
フランスからイングランドへ渡って勝利を収めても、まだまだ戦いの歴史は何世代の家族に続いていきます。それでも生き抜いて子孫を残し、ウォルトが産まれたことに感謝です。
どこの家族もそうですが、こうやって歴史を眺めていくと悲惨な時代を生き抜いてここまで来たんだなと感慨深く、与えられた命をちゃんと生かさないとダメだなと自分に置き換えて考えてしまいました。
名前の由来を中心に調べていきましたが、珍しい名前なので興味がありました。こうやって謎が紐解けて面白かったです。