幻のホリデーランド
カリフォルニアのディズニーランドの西端にあった『ホリデーランド』をご存じでしょうか。
それは、1957年6月~1961年9月までの約4年間だけ存在した「芝生のピクニックエリア」のことです。
約37,000㎡の敷地には、野球場、バレーボール場、ポニー牧場などがありました。
ホリデーランドを作ったきっかけ
ファンタジーランドのミッキーマウス・クラブ・サーカス
ホリデーランドを建設するきっかけとなったのが、「サーカス」の公演でした。
1955年11月~1956年1月に「Mickey Mouse Club Circus(ミッキーマウス・クラブ・サーカス)」の特別公演が、ディズニーランドのファンタジーランド(現在の「マッターホルン」の場所)で行なわれていたのです。
ディズニーランド内にサーカスとは。時代を感じますね👇
サーカスのアイディアは、ウォルト本人によるものでした。
彼はディズニーランドには、サーカスが必要だと考えていたのです。
1955年7月のパークオープンには間に合いませんでしたが、約4ヶ月後の11月にはショーを開催できました。
1日2回のショーでは、伝統的なサーカスの他に、初代のThe Mouseketeers(マウスケティアーズ)たちがパレードをしたりショーを盛り上げる役割を担っていました。
「マウスケティアーズ」とは、ミッキーマウス・クラブのメンバーたちの名称です。
初代の「マウスケティアーズ」とウォルト👇
マジックキングダムの地下施設には「The Mouseketeers」をもじったキャストメンバー専用カフェテラスがあります。その名も「The Mouseketeria」です。
地下施設についての記事はこちら👇
短期間で閉鎖へ
しかし6週間後の1956年の1月に、サーカスは一旦閉鎖されます。
ゲストは、ディズニーランドのアトラクションやパレードを楽しみに訪れるのであって、古典的なサーカスを見たいと思わなかったのです。
また、オープンして間もなくリャマがサーカステントから逃げ出したり、ライオンやトラなどは檻の中でケンカになったりと、動物の管理が大変だったようです。
それ以上に、ウォルトが許せなかったのは、サーカス団員の態度でした。
彼らは、1回目と2回目のショーの合間に、酒を飲み、ギャンブルをするなど、ディズニーランドのクオリティを下げるような振る舞いをしていました。
ケラー教授のジャングル・キラーズ
なんと、約1ヶ月後の2月19日に「Keller’s Jungle Killers(ケラー教授のジャングル・キラー)」の公演が新たにスタートします。
このショーは9月7日まで公演されました。
ケラー教授は、なんと大学の美術教授からサーカスの調教師へ転身した方です。
ライオン、トラ、ヒョウ、ジャガー、チーターなどを自由に操るショーはとても人気がありました。
一番の見せ所は、ライオンの口の中に教授の頭を入れることだったそうです。
その夢がディズニーランドで叶ったのです。
サーカスのキャッチフレーズ
これらのサーカスのキャッチフレーズがホリデーランドでした。
当時の新聞記事にホリデーランドは、「大成功を収めた」とか、「子どもたちがポップコーンをたくさん食べた」とか、「ウォルト・ディズニー自身が来て、お客さんと同じように楽しい時間を過ごした」などと書かれていました。
また、全米のメディアでもホリデーランドが大きく取り上げられます。
ウォルトとイマジニアは、結果がどうであれ、全米の注目を集めたことをきっかけに、ディズニーランド敷地内の芝生エリアとして『ホリデーランド・セクション』を加える計画を立てました。
しかし、新しいアトラクションやショーにスペースを確保するアイディアが優先されます。
結果として場所の確保が難しくなり、1957年6月に正式なセクションとしてディズニーランドの外に隣接して建設されることになりました。
赤丸の場所がホリデーランド👇
ホリデーランド 当初の構想計画
当初ホリデーランドは、19世紀末のシンプルで懐かしさを感じる時代をイメージしていました。
華美なショーやアトラクションは作らず、とにかくシンプルにこだわりました。
オープンな屋外スペースは人混みを避け、リラックスして過ごしたい家族連れに最適な空間になりました。
大人たちは野球、バレーボール、バドミントン、蹄鉄投げでなどで楽しみ、子どもたちは遊具で遊ぶことができました。
蹄鉄投げ(Horseshoe pitching)のイメージ👇
また、ディズニーランドに専用の入場ゲートがあったので、混雑を避けての入場が可能でした。
企業の社員ピクニック用へ
ホリデーランドは、約7,000人を収容できました。
大人数のイベントに最適であったため、多くの大企業がホリデーランドを借し切り、社員ピクニック&パーティーなどを行っていました。
特に、普段ディズニーランドに行く機会が少ないキャストメンバーとその家族にとっては、ディズニーの世界を体験できる絶好の機会でもありました。
ディズニーランドのサーカスで使用していた「キャンディーストライプのサーカステント」をホリデーランドに移設します。
ディズニーランドにあるレストランのレッド・ワゴン・イン・レストランは、そこで食事の提供をしました。
ビール飲み放題のランチセットが売れ筋だったそうです。
レッド・ワゴン・イン・レストランについて👇
このようにしてホリデーランドは、大企業のピクニック&パーティーが主な利用方法となりました。
大人向けに設計されてしまったため、平日は誰もおらず、週末のイベントの時だけ予約で埋まる状態でした。
ディズニーランドの「失われたランド」
平日だけでなく、休日の利用率も徐々に下がってきました。
理由はいくつか考えられます。
・7,000人収容のランドに十分な数のトイレがなかったこと。
・テント以外に日陰がない。
・敷地内に夜間照明がない。
・ディズニーランドと比較すると、テーマや内装が安っぽく、ディズニー「らしさ」が全くない。
このように、解決できない問題が徐々に積み重なっていったため、閉鎖に追い込まれていきます。
そしてとうとう、1961年9月に閉鎖されました。
当時、ホリデーランドのマネージャーであったディズニー・レジェンド(2005年受賞)のMilt Albright(ミルト・オルブライト)は、
「ホリデーランドが閉鎖したのは、何か一つのことが原因ではない。いろいろなことが複合的に作用したからだ。」と語っていました。
今では、ディズニーランドの「the lost land(失われたランド)」と呼ばれることもあります。
ミッキーのキャラクター遍歴について👇
ホリデーランドの跡地
ホリデーランドが閉鎖された1961年に、「Pirates of the Caribbean(カリブの海賊)」「Haunted Mansion(ホーンテッドマンション)」のアトラクションが、新エリアのニューオーリンズ・スクエアに建設される計画が発表されました。
ホリデーランドの跡地を利用し、新アトラクションのバックステージにしようと考えました。
赤丸の場所は現在、バックステージエリアとして利用されています👇
1988年の地図👇
新エリアNew Orleans Square(ニューオーリンズ・スクエア)オープン
名誉市長
1966年7月24日 「New Orleans Square(ニューオーリンズ・スクエア)」がオープン。
記念すべき日に、ルイジアナ州ニューオーリンズの市長ビクター・シロ氏も出席します。
この式典でウォルトは、シロ氏を「ニューオーリンズ・スクエアの名誉市長」に任命しました。
ちなみにシロ氏も、ウォルトと同じイリノイ州シカゴで誕生しています。
するとウォルトは ”まあ、もっときれいだと思うよ “と答えました。
アトラクションのオープン日は、
・1967年3月18日 カリブの海賊
・1969年8月9日 ホーンテッドマンション
でした。
ウォルトは1966年12月15日に他界しているので、完成を見届けていません。
前述の式典が、パークで最期の公式の姿でした。
パーク内はアルコール禁止
ディズニーランドで、アルコールが売っていないことを不思議に思ったことありませんか?
実は、ホリデーランドが大きく関わっていたのです。
ウォルトは、ディズニーランドを家族みんなで楽しめるパークにしたかったので、敷地内ではアルコールの提供はしないと元々決めていました。
このように述べています👇
パークの敷地内では、アルコールの禁止ルールを徹底します。
家族向けのテーマパークにおいて、酔っ払いによる過激な行動を排除したかったからです。
あくまでも、家族的な楽しい雰囲気に影響があってはならないと、強い信念を持っていました。
パークに隣接するホリデーランドでは、アルコールOKでした。
アルコールを飲みながら、大人たちがゆったりくつろぐ空間だったからです。
しかし、ウォルトの懸念は的中しました。
酔っ払ったゲストが、ディズニーランドのメインエリアに入り込みトラブルを起こし、パークで遊ぶ家族連れに迷惑をかけたのです。
このアルコールのトラブルも、ホリデーランドが閉鎖された一因かもしれません。
経営者として、パーク内でのアルコール提供は、とても難しい問題でした。
どうしてもお酒が飲みたいゲストが、一定数いることはわかっていました。
そこで、ニュー・オーリンズ・スクエアに、アルコール提供をする大人の社交場「Club33」を設けたのです。
パークで遊ぶゲストとは、一線を画した大人向けのラウンジです。
しかし、「Club33」が完成したときには、ウォルトはもうこの世にはいませんでした。
歴史を振り返る
今では、実際にホリデーランドに入場したことがある人は、少なくなってきています。
61~65年前のことですからね。
ホリデーランドが存在したことを知らない人の方が多いかもしれません。
そもそも、昔のアトラクションなどに、興味を持つ人が少ないと思います。
知ったところで、失ったものが戻ってくるわけでもないですし。
個人的には、ディズニーの歴史を振り返る動画や映像を見るのが好きです。
特にウォルトが関わったプロジェクトについては、特に興味を引かれます。
ミッキーマウス・クラブ・サーカスやホリデーランドのように短命で終了したものであっても、あの時代に創造性豊かな発想が出てくること自体が、単純にすごいなと思います。
ディズニーのイマジニアは、昔に存在したアトラクションや、古い映画などへのオマージュを随所に「隠れミッキー」的な感じで忍ばせてくれるので、楽しいですよね。
そういった意味でも、現在はもう無い「失われた◯◯」をこれからも記事にしていけたらと思っています。
No liquor, no beer, nothing.
Because that brings in a rowdy element.
That brings people that we don’t want and I feel they don’t need it.
Walt Disney
(ざっくり日本語訳)
酒もビールもありません。
なぜなら、乱暴な要素が生まれてしまうからです。
それは、望まない人達が集まってくるし、私もそういう人達を必要としていません。