シンデレラ城に掲げてある紋章
このブログは、私(フローランド)が勝手に考察しています。これが正解ではないので、ご了承ください。「そんな考えもあるのか」くらいの気持ちでお読みいただけると幸いです。
紋章が世界中のディズニーパークに掲げてあります。シンデレラ城のテラスに飾られてあるのを見たことがある方も多いと思います。
こちらはパークのみで使用される紋章であり、ディズニー家公式の紋章ではありません。
三連獅子(三頭のライオンが連なっている)の紋章は「イングランド王室の国章」(1198~1327年)にとてもよく似通っています。
確かにディズニー家はイングランドにもゆかりはあります。でもなぜフランスでもなく、アイルランドでもなく、イングランドのみが採用されたのかはわかりません。
ディズニー家と言う括りは、まったく関係なく12世紀終わり頃~14世紀始め頃のイングランドまたは、イングランド王のリチャード1世(獅子心王 Richard the Lionheart)となにか関係があるのでしょうか。
バイユー司教とのつながり その1
ウィキペディアを見ていたら繋がりました。
古代後期
バイユー司教であった聖ヴィゴールはその地でドラゴンを殺し、修道院を建てた。5世紀、低ザクセン地方からやってきたサクソン人集団が定住し、そこはOtlinga saxoniaと呼ばれた。6世紀後半には、住民たちはキリスト教化され、町は繁栄し、宗教的な中心地となっていた。5世紀、西ローマ帝国崩壊とともにバイユーはネウストリアに併合され、司教たちの権力が強くなり、時にはカール・マルテルの甥であるユーグのように王族から司教が選ばれた。
出典: Wikipedia 『バイユー』より
当時のフランス・バイユーで権力を握っていたのはキリスト教の司教でした。
5世紀を境にその力はますます強くなり、王族の中から司教選びをするようになります。
11世紀、その司教が納めている土地を護衛をしていたのがウォルトの祖先のSuhard家です。
当時のSuhard家はバイユーの有力な貴族でした。
貴族でもあり「gardien et maître du port d’Isigny」(イズニー港の領主)としても、
バイユーの港全体(イズニー港含む)を監視し、敵から守る役割を担っていました。
また沼地だった土地を、牧草地に変えたのもSuhard家です。
バイユー司教が統治していたバイユー👇
それから、ウィキペディアの文章に気になるものが2点。
①「聖ヴィゴールはその地でドラゴンを殺し、修道院を建てた。」
→急に出てきたドラゴン😲😲😲
伝説的なものなのか、詳しい記述がないのでわかりません。
②「甥であるユーグのように」
→ウォルトの祖先の名前もHughesです。
(読み方によってはユーグと表記されることも)
これもどこにも記述がないのでわかりませんが、もしかしたらひょっとすると
祖先のHughes Suhardは、その司教から名前をもらった可能性があるかもしれません。
バイユー司教とのつながり その2
バイユー司教のオドについて
Odo was the son of William the Conqueror’s mother Herleva and Herluin de Conteville. Count Robert of Mortain was his younger brother. There is uncertainty about his birth date. Some historians have suggested he was born around 1035. Duke William made him bishop of Bayeux in 1049. It has been suggested that his birth was as early as 1030, making him about nineteen rather than fourteen at the time.
出典: Wikipedia 『Odo of Bayeux』より
・ノルマンディー公(ウイリアム1世)の異父兄弟のオド。(ロベールはオドの弟)
・推定年齢19歳でバイユーの司教に任命される。(キリスト教の聖職者)
・31歳のときに「ヘイスティングスの戦い」に参加。
このオド司教に信頼されSuhard親子は一緒に「ヘイスティングスの戦い」に参加しています。
3人の真ん中がノルマンディー公(ウイリアム1世)
左側がバイユー司教のオド
右側がモンタン伯のロベール
リチャード1世とのつながり
イングランド王のリチャード1世(獅子心王 Richard the Lionheart)について。
これもウィキペディアにありました。
ノルマン人時代
1204年、ノルマンディー公国がカペー王朝に併合されたため、カペー家の政治的・経済的重要性が強まった。当時のバイユーにはおよそ20の教区教会と礼拝堂があった。バイユーは、リチャード獅子心王から自治憲章を買うことができるほどに、裕福だった。
出典: Wikipedia 『バイユー』より
自治憲章を買ったとの記載があります。
その縁でバイユーの紋章はリチャード1世にちなんだライオンが描かれているのでしょう。
バイユーの紋章👇
政治的業績より、逸話の多い王であった。
出典: Wikipedia 『リチャード1世 (イングランド王)』より
(中略)
・かつてのイングランド王室紋章を定めたのは、リチャード1世である。ヘンリー2世がライオンの紋章を採用し、リチャード1世がそれまでに1頭だったライオンを3頭に増やしたといわれている。
もともと1頭だったライオンを3頭に増やしたとの逸話が書かれています。
まとめると・・・👇
・ノルマンディー地方(バイユー)とリチャード1世
・バイユー司教とディズニー家の祖先(Suhard親子)
こうして、フランスのノルマンディー地方にゆかりのあるもの達が繋がりました。
だから、パークの紋章はライオンが3頭なのですね。
単純すぎるかな・・・?
ディズニー家公式の紋章ではありませんが、ちゃんとゆかりのある紋章でした。
公式に発表されている見解ではありませんが、私なりに解釈してみました。
全然違っていたらごめんなさい🥺
ディズニー家の紋章
こちらが公式の紋章です👇
盾の中にあるのは、アイルランドの象徴のシャムロック(三つ葉)とフランスの象徴のフルール・ド・リス(アヤメまたはアイリス)が3つありますね。
残念ながらライオンはいません。
パークの紋章とはだいぶ雰囲気が違いますね。
「ビー・アワー・ゲスト・レストラン」にも
ちなみにWDWのマジックキングダム ファンタジーランドにある
「Be Our Guest Restaurant / ビー・アワー・ゲスト・レストラン」の入口には
・バイユーの象徴であるライオン1頭
・フランスの象徴であるフルール・ド・リスが3つ
の紋章があります。
「美女と野獣」の映画実写版の舞台がフランスだからですね。
フランスの北中部のロワール渓谷にある「シャンボール城(Château de Chambord)」だそうです。
レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住居を与えられた。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与していたと考えられている。(中略)
出典: Wikipedia 『シャンボール城』より
城には部屋が440、暖炉が282、階段が74ある。
(中略)
建築上の見所の1つに、二重らせんの階段が挙げられる[2]。2つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるのである。広々としたすばらしい階段はシャンボール城見学のハイライトとなっており、城の最上部から照らし出されている。階段を設計したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだという説もあるが、これは確かではない。この種の構造を有する近代以前の建造物は世界的にも珍しい。
ものすごく大きなお城ですね。
部屋が440室😲
このお城ならいつまでもステイホームできそう。
この時代「らせん階段」は、まだ新しい技術であったはずです。
それなのに、普通のらせん階段とは、違う凝った構造の「二重らせん」階段とは!
ウィキペディアには”ダ・ヴィンチ設計の説”を確かではないとしています。
しかし、凡人には思いつかない発想の物を作り出すのがダ・ヴィンチです。
絶対に彼の設計でしょうね。(勝手に断言)
さいごに
今回は紋章のみをクローズアップしてみました。
最後は話しがずれまくりでした😅
ずっと気になっていたことなので調べていて楽しかったです。
パークの紋章については、無理矢理な答えを導き出した感は否めませんが・・・。
これからも引き続き調べていこうと思っています。