Walt Kelly (ウォルト・ケリー)とWalt Disney(ウォルト・ディズニー) 追記 記事がパクられました

1991 Pogo Possum Revival Newspaper comics ウォルトディズニー
Brecht Bug 1991 Pogo Possum Revival Newspaper comics 0903A
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追記 記事がパクられました

記事の一部がパクられ動画にされました👇

Walt Kelly (ウォルト・ケリー) とウォルト・ディズニーは仕事上の仲間

Pogo(ポゴ)』 の作者のWalt Kelly (ウォルト・ケリー)について、ウォルト・ディズニーとの繋がりについてまとめてみました。

なぜこの記事を書いたのか。
スプラッシュマウンテンが大いに関係があります👇

ふたりは、名前が同じで、職業も同じアニメーターです。
仕事上での繋がりがあり、同じアイルランド系アメリカ人でした。

1913年生まれの ウォルト・ケリー。
22~28歳のときにカリフォルニアのウォルト・ディズニー・スタジオで、
・『白雪姫』
・『ファンタジア』
・『ダンボ』
・『リラクタント・ドラゴン』などのアニメーターの仕事をしていました。
また、
・『ドナルドダック』のアニメーションや短編映画の絵コンテなどの制作にも携わりました。

1941年 ディズニースタジオのストライキ

1941年、ウォルト・ディズニー・スタジオでは、アニメーターたちによる賃上げと福利厚生の改善を求めた 大規模なストライキが起きます。
ケリーは抗議のデモに参加せず、どちらかの側につくことをあえて避けました。
ケリーは、親友のアニメーター Ward Kimball (ウォード・キンボール)に手紙で、ストライキのことをこのように綴りました。

ケリーのつらい心情が現れている内容です👇

総体的な芸術形式のアニメーションの中での締めつけと、過度に求められる技術的な欲求に息苦しさを感じていました。
そして、ストライキが起きたときの脱出方法を模索していました。
(ざっくり日本語訳)

Ward Kimball は、伝説的なアニメーターである「ナイン・オールド・メン」の9人目のメンバー。

ストライキ後は、アニメーターとしてスタジオに戻ることはなかったケリー。
しかし、ウォルト・ディズニー自らの推薦で
『ピノキオ』 『3人の騎士』のイラストを担当し、
Walt Disney’s Comics and Stories』で表紙を書いたり、
ロアルド・ダール『グレムリン』シリーズを任されていました。

ロアルド・ダール『グレムリン』はこちら👇この絵はウォルト・ケリーによるものです。

本の説明文。(機械翻訳より)

「グレムリン」は、第二次世界大戦中のイギリスの戦闘機パイロット、ガスが、バトル・オブ・ブリテンの最中に飛行機の翼に目を向けると、驚くべき光景が目に飛び込んできました。ガスはグレムリンを見た最初の人間であり、その後に起こったことは戦争と世界を永遠に変えることになったのである。

この作品は、ウォルト・ディズニーがアニメーション映画として製作するために購入したもので、グレムリンという飛行機を破壊する神話上の生物が登場する最初の物語と考えられていた。

超有名な 漫画『Pogo(ポゴ)』

1941年 ディズニー社のストライキ後、28歳のときに『Dell Comics (デル・コミックス)』へ移籍し、フリーランスの仕事をします。
そして 1943年 『Pogo(ポゴ)』 でデビューします。

アフリカ系アメリカ人の少年「ポゴ」は 大きな目と鼻が特徴的。
無邪気な性格をしており、フロリダ州とジョージア州にまたがる「オケフェノキーの湿地帯」で、楽しい仲間達と暮らしている様子を漫画にしたのです。

1991 Pogo Possum Revival Newspaper comics
Brecht Bug 1991 Pogo Possum Revival Newspaper comics 0903A

ウォルト・ケリーは 政治的な風刺を、オケフェノキーで暮らす動物の仲間達のセリフに盛り込んだりして、大衆の心を掴み「風刺作家」となることに成功しました。

1970年代に入り、ケリーは健康状態が良くなくなり、重度の糖尿病で入院し、足を切断します。
1973年にケリーが亡くなった後 『Pogo(ポゴ)』の人気は、熱狂的なファンに支えられていて、今現在でも 中古品が高額で取引されています。

政治的な風刺の意味を理解するずっと前に、ケリーの素晴らしい漫画に魅了されたファン達によって、今でも『Pogo(ポゴ)』人気は衰えていないようです。

しかも、もう二度と、ケリーのような作品は見るとこができないだろう と思っているようです。

引用 https://www.city-journal.org/html/going-pogo-13429.html

全米漫画協会(NCS)に選出

ケリーは、1951年に「National Cartoonists Society(全米漫画協会)」の「Billy Debeck Memorable Award( ビリー・デベック記念賞)」を受賞します。
※1954年に賞の名称が変更された際に、「Reuben statuette( ルーベン像)」も遡って授与されています。

また、1954年に全米漫画協会の会長に選出され、1956年までの2年間在任しました。

1972年には「Silver T-Square( シルバー・T-スクエア)」も受賞しています。

ウォルト・ディズニーも過去に 全米漫画協会の賞を三回受賞

ウォルト・ディズニーは、アニメーション賞を1957(55歳)・1961(59歳)・1963(61歳)年に、三回受賞しています。

こちらの記事で触れています。

ウォルト・ディズニーに出した手紙

1960年5月25日、ケリーはウォルト・ディズニーに、かつてスタジオで過ごした時間について手紙を書いています。

お礼を言うのを忘れていたかもしれません。
私は、あなたが30年代にしたトレーニングや雰囲気作りに、長い間大変感謝しています。
何事にも欠点はあるものですが、今思えば、驚くべき実験と経験でした。
確かにそれは、私が受けた唯一の教育でした。
また、私がほかの人々に対して、あなたがいくつか期待することに 応えられるよう努力していきます。
(ざっくり日本語訳)

オケフェノキー物語とポゴ

Pogo(ポゴ)』はフロリダ州とジョージア州の境にある湿地帯の「オケフェノキー」に仲間達と楽しく住んでいます。
なぜ、オケフェノキーの湿地帯が舞台であったのか、今回調べることができませんでした。
しかし、『Pogo(ポゴ)』がオケフェノキーに住んでいたことにより、ウォルト・ディズニーとの仕事仲間だったことや、スプラッシュ・マウンテンのアトラクションへと繋がっていきました。

アメリカ人には有名な漫画家の ウォルト・ケリーですが、日本人にはあまり知られていないと思います。なので、簡単ですが紹介してみました。

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