ディズニー家の歴史 その4 カナダ編

Canada bear ウォルトディズニー
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華麗なる一族の歴史 カナダ編

まずは、こちらからお読みください👇

アイルランドからアメリカを経てカナダへ

1834年

曾祖父のアランデル・マリア夫妻と4歳上の兄ロバート・ジェーン夫妻は、アイルランド キルケニー県の所有していた不動産を売却。
2家族の計7名で移住を決断します。

まず、アイルランドからイングランドのリバプールへ。
そして、リバプールからニューヨーク行きの船に乗船。
ニューヨークで降り立ち、数年間をアメリカで生活します。
その後、カナダのオンタリオ州へ移住します。

ロバート・ディズニー家

👨🏻ロバート(1797-1872)
👩🏻ジェーン(1810-1893)
👦🏻フランシス(1830-?)
👦🏻イライアス(1832-1883)


長男のロバートとジェーン夫妻は最終的に9人の子どもをもうけます。
オンタリオ州ゴドリッチ・メイトランドの川沿いに93エーカーの土地を購入。

アランデル・ディズニー家

👨🏻アランデル(1801-1880)
👩🏻マリア(1814-1896)
👦🏻ケプル(1832-1891)

次男のアランデルとマリア夫妻は、最終的に15人の子どもをもうけます。
1842年までには同じくゴドリッチ・メイトランドの川沿いに149エーカーの土地を購入済み。
この地で最初の製材所と製粉所を建設します。
木材やトウモロコシなどを売って生計を立てます。

トロントから西に約200㎞の町 オンタリオ州ヒューロン郡ゴドリッチ👇

Goderich Canada
© OpenStreetMap contributors

カナダ・オンタリオ州のイメージ👇

Menesetung Bridge, Goderich Ontario.
MattMk2
Menesetung Bridge, Goderich Ontario.

土壌が豊かで果物がたくさん実り、川では魚がたくさん獲れ、狩猟もできていましたが、野生のオオカミがたくさんいたり、冬は気温がマイナスになる日もあり、入植者は大変だったようです。

子供の頃に見ていたNHKのドラマ「大草原の小さな家」を思い出しました。
「大草原の小さな家」は1870-1880年代のアメリカを舞台にしたドラマです。
ウォルトの曾祖父達がカナダに入植したのは1840年頃と思われます。
約30年の違いと、国の違いはもちろんあります。
しかも、カナダの土地は木々が生い茂り耕作をするには、木々を伐採するところから始めなければなりません。
何年もかかり、相当の重労働だったことでしょう。

何もない土地に自分達だけで家を建てたり、オオカミが夜中にやって来るシーンなど、「大草原の小さな家」のドラマ内でも描かれており、開拓の苦労の雰囲気が見てとることができます。

当時の雰囲気はこちらでどうぞ👇 

成長したケプル氏(おじいちゃん)

カナダオンタリオ州ヒューロン郡ゴドリッチ

祖父母(おじいちゃん・おばあちゃん)

👨🏻ケプル・イライアス・ディズニー(1832-1891)
👩🏻メアリー・ジェーン・リチャードソン(1838-1909)

1858年に同じアイルランドからの移住者メアリーと結婚します。

ケプルとメアリー夫婦はゴドリッチから北西約40㎞にある町のブルーベールで100エーカーの森林を購入し家を建て農場を作ります。

1910年のブルーベールのイメージです👇

Bluevale, Ontario, Canada (1910)
Special Collections Toronto Public Library Bluevale, Ontario, Canada (1910)

父であるイライアス氏誕生

1859年 

🧑🏻イライアス(父)がブルーベールで誕生し、セントポール教会で洗礼を受ける。
長男であるイライアスを筆頭に、ケプル・メアリー夫妻はその後10人の子どもをもうけ、養子を1人迎えます。

1864年

ケプル(おじいちゃん)はブルーベールでの農業を諦め、石油化学産業で発展しているラムトン郡へ移動して石油掘削の仕事に就き2年間を過ごします。
しかし、思うように石油が出ず、一度ブルーベールの家族の元へ戻ります。
そして今度は、塩鉱山の採掘の仕事を見つけ出稼ぎに行きますが、1年後にはブルーベールに戻り農業を再開します。

1868年

ブルーベールから曾祖父時代に開拓したゴドリッチへ戻ります。
ゴドリッチの中央小学校に8歳のイライアスと6歳の弟のロバートが通っていた記録が残っています。
この小学校は1856年建築された2階建てのレンガ造りの建物で現在はヒューロン郡博物館の一部になっています。
ディズニーファンの間ではウォルトのお父さんが通った小学校だと言うことで、聖地として訪れているそうです。

青い丸の所がヒューロン郡博物館(旧ゴドリッチ中央小学校)
祖父ケプルの製材所と製粉所もこの近くにありました👇

ヒューロン郡博物館
© OpenStreetMap contributors

ヒューロン郡博物館(旧ゴドリッチ中央小学校)👇

HuronCountyMuseum
By Rjsbird287

日曜日には家族でキリスト教プロテスタントの一教派である「ウェスリアンメソジスト教会」に通う。

特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。

出典: Wikipedia 『メソジスト』より

協会の教えの通り、兄弟達みな、健康で規則正しい生活を送っていたようです。

今でも残るディズニー家の痕跡

1872年の地図によると祖父のケプルの農場が載っています。

ゴドリッチから南西に約15㎞の所に「Disney Road」と名のついた道路があります。
1947年7月、ウォルトは祖先の軌跡を訪ね、妻のリリアンとカナダへ旅行しています。
まず、ブルーベール郵便局へ行き、ディズニー家の土地がどこにあるかを聞き込みします。
そして父ケプルが話していた思い出の農場へ足を運びます。
そのあと、叔父と叔母、祖母の曾祖父母が埋葬されている墓地を訪れています。
またゴドリッチ中央小学校へも行き小学生達にイラストを描いてあげたそうです。

赤い丸の場所が今でも残る「Disney Road」です👇

Disney Road Canada
© OpenStreetMap contributors

拡大バージョン👇

Goderich Canada
© OpenStreetMap contributors

今でもこの近辺には、直系の子孫がたくさん住んでいるそうです。

ウォルトは、この時の出来事を1963年に出演したテレビで語っています。
町はとても美しく、人々も親切でリリアンは本当にゴドリッチの町を気に入っていたようです。
祖父と父が住んでいた家に行ってみると、荒れ果てていましたが、夢中になってカメラのシャッターを切りました。
しかしあとから、なんと!その家は違う人の家だったことが判明します。
それ以来、リリアンはこのウォルトの失敗話を、家族や親戚に話す「鉄板ネタ」にしていたようです。

どこの国でも失敗談をネタにするのは同じですね。
ウォルトとリリアンの仲の良さがわかる微笑ましいエピソードでした。

引用元 「ESSAYS Biography of the Disney Family in Canada
引用元 「https://www.huroncountymuseum.ca/disney-connections/

まとめ

アイルランドから何故、生活拠点をカナダへ移したのかはわかりません。
しかし、約11年後に疫病菌により主要食であったジャガイモがとれなくなり大飢饉が起こり約100万人が餓死などで亡くなるとは全く想像していなかったことでしょう。
祖先の時代から先見の明があったのかもしれませんね👏

しかし、カナダでの生活は開拓の苦労と寒さとの戦いがあったようですし、より良い生活のために職業をいろいろ変えていたようです。

続いては、カナダからアメリカへ拠点を移し、シカゴでウォルトが生まれる時代へ👇


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